「詩と思想」9月号に、5月16日にキャンパスプラザ京都で行われた、
公開座談会「ラクダが針の穴を通るとき―3.11後の時代と女性の言葉」
の内容が掲載されています。
原発事故後、
この国では美しい自然と社会の構造と人の心に、
無数の針の穴が空きました。
無痛でありながら一度自覚すれば、
それは胸を永遠のようにつらぬきつづける。
今もさらに針はふえ、無慈悲さと鋭さをましている。
何ができるのか。
痛みについて語り合い、痛みをとおして連帯するしかないのだと思います。
このトークからもう三ヶ月以上の時が経ちました。
もう遙かな過去のような気もしますが、
こうして活字となったものを読むと
あらためてあの時の時空が明滅します。
三人のパネリストと五十名強の参加者は
たしかにひととき、
人間と言葉の尊厳をないがしろにしてやまないこの国の片隅で、
言葉という存在を信じてかたりあったのです。
私自身はこの座談会のなかで、
「声の道」という希望のタームを見出しました。
それが岡島さんに引き継がれ、中村さんにも響いていく展開となっています。
多くの方々にぜひ読んで頂きたいと思います。