死刑の問題について考えさせられました。
最高検察庁の元検事土本氏には
若き日に関わった、死刑判決をめぐって忘れられない記憶があります。
強盗に押し入った家で主婦を殺害した22歳の容疑者に死刑を求刑し、
最高裁で確定させた事件です。
死刑囚となった青年と土本氏は死刑が執行されるまで手紙を交わしました。
手紙から、死刑囚が社会に出られるほどに立ち直ったのを確信した元検事は
執行を止められないかと上司に恩赦をかけあいますが死刑は執行されます。
それ以後、ずっとこの死刑囚のことは心にわだかまっていましたが、
後日、別の死刑囚の死刑の現場にみずから立ち会うことを決心します。
土本氏は初老の死刑囚の隣で、その体に肱でふれながら読経もする。
彼がふるえおびえる様子も目の当たりにする。
階段の下へ連れていかれた死刑囚がみえなくなると
看守たちや立ち会い人が唱える読経が急速に高まっていく。
突然凄い音が響く。
次の瞬間元検事が目にしたのは
目を覆われ、両足を結ばれ、手錠をかけられ
首をくくられて苦しむ死刑囚の姿。
それを階段の途中から白衣の医務官が
時計で時間を測りながら見て、脈と瞳孔と呼吸を確認しつづける・・・
土本氏はその凄惨な現場に立ち会いながら
「私達が裁くのは罪か人間か」と痛感します。
死刑囚の青年は手紙で、死刑確定後も
「これからきっと立ち直ります」
「今年も検事さんにとっていい年なりますように。僕はもっといい年にしてみせます」
と生きることへの祈りのように書き記しました。
「立ち直っていくのが分かる、でもそれだけ苦しくなる。しかしそれも罪のあがないなのだと思う」とも記しています。
精神不安を静めるために飼うことを許された文鳥のために
自分の分の毛布で住み家を作ったことや
窓から鴉が雀を殺す様子を観察し
しかし鴉は巣に戻れば雛がいる、
自分は鴉以下だと思ったことなども書いています。
最後の勤め先の奥さんや国選弁護人には
獄中の内職で稼いだなけなしのお金を贈っています。
番組から感じられた青年の姿は
本当にまっとうで
そのような人間が人を殺したというのは、魔がさしたとしか思えません。
あるいは人を殺して初めて、自分を見つめることが出来たのかもしれませんが、
いずれにしてもどんな人間も変わりうるということを
この死刑囚の変化は物語っているのではないでしょうか。
番組の最後に、最近の調査で、85%以上の人々が死刑に賛成という事実を知りました。
「人を殺したから、殺されてあたりまえ」
「死刑が犯罪の抑止につながる」
「立ち直る人もいれば立ち直らない人もいるはず」
というような考えにもとづいていると思いますが、
それは一人の人間としての死刑囚がどんな生活をし、どんなことを考えているのか
何よりも、死刑の現場の実態がいかなるものであるのかを
知らないからだと思います。
しかし一方で、罪と人間は切り離されうるのか、
という根源的な問いかけもたしかに存在します。
けれどもう一方で、犯罪者とは、
その人間が追い詰められた時の仮そめの姿で
本当の姿ではなかったということもできるでしょう。
元検事は裁判員制度の開始をきっかけに
重い口を開いたのでした。
人を裁き、死刑を言い渡す義務を負わされる市民に
死刑の現実が全く知らされていないことを危惧して。
この強盗殺人事件は私が育った町で
私が十歳の時に起こったものだと知り、驚きました。
記憶にはありませんでしたが。
死刑囚の母親は、息子の死からほどなく、
やはり同じ町で電車にみずから飛び込み亡くなったそうです。
画面に映る風景にはたしかに見覚えがありました。
いったい罪とは何なのか。
罪と罰の関係とはどんな次元にあるものなのか。
これだけの人々が賛成しているならば、
死刑というものはなくならない、と元検事は言っていましたが
もしそうであるとしても
一人の人間のいのちを奪うことは
神にしか出来ないことだという真実を
それぞれがもっと自分の内側から感じとらなくてはならないのではないでしょうか。