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河津聖恵のブログ 「詩空間」

この世界が輝きわたる詩のプリズムを探しつづける。

マイケル・サンデル『これからの「正義」の話をしよう』

最近、いつもバッグに入れて
暇が出来た時に読んでいる本。Image837

今年のベストセラーみたいですね。
酷暑から逃れてふらっと入った書店で
「第1位」
の白抜き文字に吸い寄せられるように
手にしました。

書評などで気にはなっていましたが。
奥付を見ると7月30日で41版!
すごいですね。

しかしどうせベストセラーなんて、と思いきや
中身は難解でありつつも素晴らしいものでした。

アメリカを席巻してきたリバタリアニズム(自由至上主義)
に対し痛烈な一矢報いる
最上の書ではないでしょうか
(などと、
これまでリバタリアニズムなどという言葉も
ほぼ知らなかった私などが、そう言っていいか分かりませんが)

今、正義とは何か
それは自由を束縛するものなのか
あるいは本当の自由は
正義との関係においてこそ存在しうるのか

それがテーマだと思います。

まだ読み終わっていませんが
9.11のテロという大きな出来事が
この書の背景にたしかにあるのでしょう。

アリステレス、ベンサム、ロック、ミル、カント、ロールズ、と
そうそうたる哲学者の考えが
正義とは何か、という問いかけの力で
駆使されていきます。

もちろん、ついていけない・・という箇所もしばしば。
善と正義の違いがまだ今ひとつ分からないし
道徳的という言葉が自明なものとして何度も出てきて
そのたびに立ち止まってしまいます。

しかし次第に
共同体の回復に期待をする熱い論理が展開していくところで
ぐんぐん吸いこまれました。
よく分からない箇所も
神経をつかって精緻に言おうとしているから
訳のほうが難しくなっているのかな、とも思います。

とりわけ面白いなと思っているのが
歴史の過去の責務を負うべきか否か、という議論のところ。

たとえば一般的な自由至上主義者はこういいます。

自分が生まれる前の世代の罪は
自分には関わりなどない。
祖先と「ぼくが背負うから」と約束したわけでもなし。
祖先との連帯責任なんて!

かれらにとって
「自由であるとは、みずからの意思で背負った義務のみを引き受けることである」
のだから、そういうのです。

しかしサンデルはその考えは
「自分の役割やアイデンティティ、つまり自分を世界のなかに位置づけ、それぞれの人となりを形づくっているものを考慮しない」
という欠点がある、と指摘します。

なぜなら私たちは私たちの意思だけでは存在していないのだから。
私たちはまず様々な共同体の中での
様々な役割を背負った者として存在しているのだから。
たとえば母として父として民族として国民として。
だから善とは
そうした役割を背負って生きる人にとっての善であるのだ──

つまり私は私の意思だけが頼りのひとりぼっちではないのです。
いわば
「共同体に埋め込まれた存在」なのです。
人生はそのような私の「物語」。
それはたった一人で作るものではない。
私は、他者や歴史から作られたその物語を
意思によって選択しつつも
じつは解釈するために生きている(この「解釈」という言葉が新鮮!)。

私たちは「物語」の一員(主人公というより一員でしょうか)として
共同体の過去から負債や遺産や期待や責務を否が応でも受け継いでいる。

だから、「連帯責任なんて!」
とは言えない、
とサンデルはいうのです。