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河津聖恵のブログ 「詩空間」

この世界が輝きわたる詩のプリズムを探しつづける。

ツェランの海へ(二)

詩人の要件は何でしょうか。

最近、私はそれは「無垢」ではないかと思うようになりました。

「無垢?
イノセンスなんて社会や現実に関わろうとしない詩人の言い訳じゃないの」
とも言われそうですが、
このところ関東大震災前後の詩の状況をふりかえろうと
中原中也をあらためて読みながら
無垢とは
きっとこれからこそ輝きだすべき言葉だと直感したのです。

「汚れつちまつた悲しみ」という中也の有名な詩句がありますが
その悲しみの汚れなさが無垢。
中也にとって幼年期とは
汚れない悲しみが満ちた無垢そのものの世界です。

そしてパウル・ツェランも同じく
「無垢」こそが救いであると考えていたことを
四半世紀振りに『パウル・ツェラン詩論集』を読み返し始めて気づきました。

「もちろんぼくは、この旅に出かけるまえ、自分が背後にする世界ではひどいこと、間違ったことが行われていることを知っていた。しかもぼくは、もし自分がそれらの出来事を名指しするなら、その根底をゆすぶることができると信じていた。そのような振舞いのためには、「絶対的な無垢」に戻ることが前提になることを、ぼくは知っていた。この無垢をぼくは、何世紀にもわたるこの世界の嘘の滓を洗い落とした末の初源的な光景と見なしていた。(・・・)あの初源的な優しさはどのようにして取り戻すことができようか。」

ここで旅というのは
ある絵に見入り、そこであれこれ夢想する過程を指します。
ツェランの背後で今起こっているという「ひどいこと」とは何でしょう。
恐らくそれはアウシュヴィッツ以降も続く戦後の様々な残酷な事件のことです。
(これが書かれたのは1947年です)

詩とは
そのような「世界の嘘の滓」を洗い落とし
世界に無垢を取り戻させるものでなくてはならない。
そう、ツェランアウシュヴィッツによって破壊された世界に
初源の無垢を取り戻すために詩を書いたのです。

ツェラン
言葉をひとつひとつ
「悟性の王水」で洗い清めるために
詩を書いたのです。
破壊の狂気が荒れ狂った後の世界で。
事物にそれぞれの初源の意味を回復させ
木を木に、花を花に戻すために。

「木はふたたび木にならなくてはならない。百もの戦争で反乱者たちをしばり首にした木の枝は、花咲く木の枝に」

それは、創世記にもあるような
人間のいない劫初の世界なのでしょうか。