#title a:before { content: url("http://www.hatena.ne.jp/users/{shikukan}/profile.gif"); }

河津聖恵のブログ 「詩空間」

この世界が輝きわたる詩のプリズムを探しつづける。

「百年の明日・ニッポンとコリア」

私が朝日新聞で最近楽しみにしているのは、P9130030
「百年目の明日・ニッポンとコリア」というシリーズです。
前回は済州島と大阪の話で、詩人の金時鐘さんも登場されました。
今回は拉致被害者・翻訳者・作家の蓮池薫さんへのインタビュー。
蓮池さんは帰国されて七年半がたちますが、今は大学講師として韓国語を教えてます。
ソウル訪問記『半島へ』も出しています。
この記事で述べられたソウルの印象も面白いです。
蓮池さんの言葉は北のイントネーションなので
「スパイを見たら通報を」という看板のある韓国では
スパイと間違えられかねず話すのに抵抗があったが、
それに対し北ではソウルは悪の巣窟と言われていたというように、
北と南では政治的な思惑によってそれぞれのイメージは
敵対的に対称をなしているといいます。
また「現在の朝鮮半島を語るには、朝鮮戦争を知ることが不可欠です」。
私は昨年韓国の田舎のお寺ですごい銃撃の痕を見たこともあり、
きっとそうだなあと思うのですが、
私が習った日本の教科書では朝鮮戦争の記述があったかなかったかは
記憶にすらないのには唖然とします。
けれど朝鮮半島ではそれは現在の国家体制や国民意識を決定する最大の出来事だったというのですね。もう一度というかまったく遅ればせにしっかり学ばなくてはなりません。もちろんそこに関わった日本の過去と当時の事情をもふくんで。
また蓮池さんは南北では朝鮮戦争をひきおこしたのはどちらか、住民を虐殺したのは誰か、というところで対立している、といいます。
そして日本の植民地支配の伝え方や評価や反日教育も違うといいます。
朝鮮民族がどんなひどい目にあったかは同じ。ところが、日本による韓国併合以降の抗日運動については全然違う」
歴史の見方がそれぞれの歴史の変化によって変化させられていくという複雑さ。
蓮池さんは拉致されてから周囲の北の人々から植民地時代に日本がしてきた事実に対する怒りをきかされます。
それに対して初めは、
「その時生まれていなかった私に何の関係がある。拉致しておいて何だ」と反発していましたが、やがてその話から「ひどく刺激」されやがて分かってきたのは、
「『頭ではわかっていても抑えられない相手の感情があることを理解すること。それを刺激しないこと』。日本と朝鮮半島の過去の事実をふまえながら今後のヒントは、そこにあるような気がするんです」
この蓮池さんの言葉は、私たちは大変重く受け止めなくてはならないのではないでしょうか。
さらに、生きていくために朝鮮語を必死で覚えたこと、
北の人々の「強制連行に比べたらこのくらいは」という率直な気持、
生活の苦しさはアメリカや日本が原因だと考えられていること、
南をどこかで羨む気持などもあることを蓮池さんは語ります。
自分が拉致され苦難の人生を強いられたことに対しては、
拉致したのは一般の人ではない、
自分が生き抜くために心をくだいてくれた人々がたくさんいる、
だから拉致問題が解決し、情勢が変化したらお礼がいいたい、とも語ります。
また、最終的に大切なのは「個々の付き合い」であり、
「将来アジアの人たちが仲良くなるためにはこれが何よりも大事だと思います」
巷で聞けば聞き流してしまいそうなこの言葉も蓮池さんが語ると、
苦難の人生の結露として私の胸にも響きました。
拉致問題の解決に向けては
「一番言いたいのは、最終的に政府だけが、北朝鮮を交渉の場に引っ張り出して解決につなげられるということです。真摯に話し合い、きちんとやってほしいということです。拉致問題の解決を、交渉でやるのか、力でやるのかという話がありますが、僕は交渉でやるしかないし、それが早いと思う。」
「家族の絆を断ち切るような解決はだめです。新たな悲しみ、苦しみが始まるわけですから」
「そのためには、何が必要か政府が一番わかっているはずです。なぜならいままで北と交渉してきて向こうの感触をわかっているはずですから。世論がこうだと行って、こっちによろよろ、あっちによろよろでは、北朝鮮は交渉相手として信じないという一面もある。」
日韓関係もふくめて最後に、
「やはり歴史の問題が大事です。共同歴史研究はとてもいいと思う。意見が合わなくても、同じ場で話し合ったことを評価したい。あとは個々の関係です。民族を超えた人間同士の付き合いが深まれば、ちょっとやそっとの摩擦で、揺らぐことはないと思います」
この言葉でインタビューは終わります。
とにかく私たちの側のほうが歴史を知らないのは事実です。日本の歴史を知るとは、隣国と共に考え、教え合い、語り合うことなのだ、と蓮池さんの最後の言葉から教えられました。日本もまた歴史に真剣に取り組む態度を見せてこそ、交渉の場で人も言葉も信頼されていくはずです。共通の歴史的な思考や言葉を持ち、日本と隣国とのあいだに共に歴史を見つめ合う機会がふえれば、とどこおっていた意思疎通や共感は、春の川が流れ出すように、始まっていくのでしょうね。
*写真は、ソウル・インサンドンの酒房「詩人」。昨年ここで「詩評」という同人誌の会合に参加しました。といっても言葉は分からなかったので、詩をめぐって思わぬ激論となったのを、ただはらはらして見ておりました。