詩歌の森へ:他者の痛みにとどく=酒井佐忠 - 毎日jp(毎日新聞) http://t.co/bDplsBv
『ハッキョへの坂』について
花びらのふるような美しい評を書いていただきました。
詩「ハッキョへの坂」から酒井さんが引用してくれた箇所は
詩としても思いとしても
私がもっともうったえたかったところでうれしいです。
花びらのふるような美しい評を書いていただきました。
詩「ハッキョへの坂」から酒井さんが引用してくれた箇所は
詩としても思いとしても
私がもっともうったえたかったところでうれしいです。
二人三人で腕を組み 肩を抱いて駆ければ
水色の空はふうわりと揺れ
みえないウリマルの花びらが
他人のものでもあり自分のものでもあるこの国に
ふりしきるだろうか
水色の空はふうわりと揺れ
みえないウリマルの花びらが
他人のものでもあり自分のものでもあるこの国に
ふりしきるだろうか
見学時間は少しだけでしたが
小さなバレエの練習場のような部屋で
鏡の前でかろやかに民族舞踊をしている女の子たちの姿に
私はひとめで恋をしてしまいました。
小さなバレエの練習場のような部屋で
鏡の前でかろやかに民族舞踊をしている女の子たちの姿に
私はひとめで恋をしてしまいました。
彼女たちは見学した私たちのためにひとしきり
それぞれ可愛い花かごを揺らせて踊ってくれました。
踊ってるさなかはこの世のならぬかろやかさで
こちらに向かって笑みを浮かべ楽しそうだったのですが
踊り終わった彼女たちを見ると
可哀想になるほどしんどそうに
激しい息をくりかえしていました。
それぞれ可愛い花かごを揺らせて踊ってくれました。
踊ってるさなかはこの世のならぬかろやかさで
こちらに向かって笑みを浮かべ楽しそうだったのですが
踊り終わった彼女たちを見ると
可哀想になるほどしんどそうに
激しい息をくりかえしていました。
他者のまえでは明るく楽しく
しかし自分一人になれば苦しい息をすることもある。
しかし自分一人になれば苦しい息をすることもある。
「ハッキョへの坂」という作品は、
文末の多くを疑問形にしています。
他者の内面を断定することはできないからということもありますが
何よりも
あの民族舞踊をしていた大人のような子供のような女の子たちの
妖精のような軽やかさを
表現したいと思ったからでした。
文末の多くを疑問形にしています。
他者の内面を断定することはできないからということもありますが
何よりも
あの民族舞踊をしていた大人のような子供のような女の子たちの
妖精のような軽やかさを
表現したいと思ったからでした。