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河津聖恵のブログ 「詩空間」

この世界が輝きわたる詩のプリズムを探しつづける。

要請に行ってまいりました

17日、朝鮮学校の無償化実現を要請して参りました。
文科省内閣府に、詩人、歌人、支援者のそれぞれの熱い思いを伝えてきました。

緊張していたせいか、記憶が混乱していて、誰が何を語ったのか、あるいは自分の語ったことも、不正確にしか思い出せない気がしています。

しかし、私の思いはただ一つでした。
卒業式まであとわずか。ささやかな力でもどうしても無償化へ波動を起こしたい。

この二年の時間が、この日に向かって背中から押し寄せていた気がします。

担当官と向き合いつつ、
二年間の記憶が、自分の眼差しと声と言葉にもしみこんでいるのを実感してました。
それは、無償化をもとめることは正しいというゆるぎない確信が、いつしか自分に生まれていた証でしょう。

この煮崩れする国は、無償化と教育への政治の不介入という理念をつらぬけ──
私なりに、そうひとすじの命法になっていた一時間半でした。

「この社会は在日コリアンと日本人が出会わないように、お互いを知らないような仕組みになっているのです。私は、朝鮮学校の問題を知り、人権を侵害されている側の苦しみを知って初めて、人権のとうとさを知ったのです。」
声をふるわせながら真情をうったえていた日本人の支援者のことばに胸打たれました。
涙が止まりませんでした。

何があっても朝鮮学校の無償化は実現されなくてはなりません。
拉致担当相などの政治介入によって、
文科省が生徒達から教育の権利を奪うことがあってはならないのです。
そしてそのことは
文科省自身がよく知っているはずです。

2009年末には同省は学校の無償化を決定していましたし、
翌年2月、無償化直前に前年末の拉致担当相の発言が意図的にとりあげられて
鳩山元首相が除外を容認した時も、
文科大臣は異議を唱えていたのですから。

しかし今やどうでしょう。
世論の論調は
「無償化は北朝鮮を利する」から「無償化除外で北朝鮮に圧力をかける」という
より好戦的で暴力的なものに変わってきているではありませんか。
それも、文科省が政治的圧力によって無償化宣言を出さないでいるからです。
不安定で無根拠な世論は、マスコミ報道にも揺動し、容易に煮崩れたのです。

私は朝鮮学校の内実や歴史を熟知しているわけではありません。
私が無償化除外に反対するのは、朝鮮学校を讃美するからでもありません。
2009年3月に橋下元知事の暴言にいたたまれなくなってアピールを出したように
この国の魂と言葉に加えられる、政治的あるいは世俗的な暴力と
それを抑制すべき日本の大人たちの無自覚さと無責任さに対して
詩人としてきっちりものを言わなくてはならないと思ったからです。
それは自分自身への自省も含めてですが、
詩人ならずとも
除外問題をめぐってみえてきた非人間性に対して声をあげることは、人間としてまともに生きようと思えばあたりまえじゃありませんか。

すべての子どもに安心して学べるようにという理念さえも貫けない社会とは何なのでしょうか。
それは
すべての人間が互いに価値も権利ももはや感じ取れない社会、
人が人間的な光の消え失せた、闇の眼と心で声をころして生きていく
社会ともいえない荒れ野でしょう。
それでもいい、むしろそうなってしまえと居直る人間たちが除外に与しているのです。