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河津聖恵のブログ 「詩空間」

この世界が輝きわたる詩のプリズムを探しつづける。

3月31日毎日新聞夕刊「『熊野』で再生される詩の言葉」

 昨夜広島から帰ってきました。彼地では人と土地との様々な出会いがありました。またこのブログで少しずつ書こうと思います。Image477
 さて、昨日の毎日新聞夕刊に、、「『熊野』で再生される詩の言葉」と題する、文芸ジャーナリストの酒井佐忠さんが書いたエッセイが掲載されました。このブログでも紹介した、2月21日熊野市立図書館文化交流センターで私が行った詩集『新鹿』の朗読会についての記事です。大変大きな扱いで、思いがけない贈り物でした。一部を紹介いたします。
 
「〈あたしか、みずからの声なき声にみちびかれ/新鹿、まだ見ぬ故郷を信じて/国道311号線からの/ささやかなディアスポラ、〉思いのほか力強い詩人の声が響く。「新鹿(一)」と題する作品。熊野の光る海と深い山に挟まれた新鹿町は、かつて米国から帰国した中上(注:中上健次)が都市の生活に飽きて家族とともに住んだことのある町。いまは作家として活躍する長女紀さんは、ここの小学校に通った。わずか半年、中上はまたまるで離散者(ディアスポラ)のように旅立つのだが、河津さんはその『まだ見ぬ聖なる故郷』を探す。それは単に中上の面影を探すことではなく、現代に生きる私たちすべてが『魂の離散者』であることを知っているからだ。
 今は年々児童数が減少する新鹿小学校近くの開墾地に、中上は黄水仙を植えた。それは「ユートピアとしての熊野」の象徴であったかもしれない。〈今は他人のものである畑地は/夕暮れの空気の底であまりにも寂しい/そこのその黄水仙には/しゃがんで植え込んだ気配が今もはりつめる〉黄水仙の幻影を詩人は追う。その小さな花に、生命観あふれた真実の言葉が宿っているかのように。」

「大きなスライドを前に詩人は語る。『熊野とは何か』を問うことは『詩とは何か』『生とは何か』を問うことでもあった。その問いが熊野を輝かせ、また詩人そのものの使命であることも知った。」
 
 また、私がそこで語った言葉も引用していただいています。私は熊野・紀州の詩を書く過程で、分かってきた重要な詩と世界との関係を語ったのですが、とてもうまく要所をまとめていただきました。
「熊野の景が記憶として輝き出すのは、京都(自宅)で詩を書こうとするとき。物のかたちや人の声、光や影、つまり熊野のオーラや精霊が記憶の空間で虚構となって立ち上がる。言葉が詩として自然に動き出し、意味やイメージにとらわれた重さから解放され、わかりやすい表現になった。」
 さらに末尾には当日講演していただいた酒井さんご自身の言葉があり、励まされました。
「大きな他者との共感を目指し、他者への愛と光に満ちた詩の言葉を模索する河津さんの精力的な仕事は、いまの現代詩にかけがえのないことだ」。
  大変なエールをいただきました。
 光の季節に新しい詩の次元へと言葉を蘇らせて、さらに未知の自分と他者に出会う旅をつづけたいと思います。