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河津聖恵のブログ 「詩空間」

この世界が輝きわたる詩のプリズムを探しつづける。

「響き合う感覚」(上田閑照)

日々様々な言葉に巡り合います。
(最近私はなぜか「巡り合う」という言葉をよく使います。Image471
日々言葉に囲まれている私たちですが、その無数の言葉の喧噪の中から、巡り合うべき言葉が、私たちを静かにまなざしているのではないでしょうか。
新聞、本、ラジオ、テレビ、人との会話、
あるいはそれは内なる言葉だったりする。
しかしある言葉に打たれるとき、胸をつかれるとき、
私は目が覚める思いがします。
自分はやはり関係性において生きる者なのだという鮮やかな実感がします。
それだけでもうれしい。

たとえば今日京都新聞の文化面で、
哲学者上田閑照(うえだしずてる)さんの取材記事の言葉が目に止まりました。
ドイツの神学者マイスター・エックハルトの研究者。
私も大学時代講義に出たことがあります。
講義の内容はじつはあまり理解できませんでしたが、
黒板に神的存在と人間の関係の見取り図を描いて(円と「一」という文字が描かれていた記憶がありますが)、
真剣で純粋なまなざしで学生を見つめていたこれぞ学者という姿とオーラに、
内容はそっちのけで私も少し興奮し感嘆していました。
今朝の写真を見るとさすがにご高齢になられましたが、
しかしあの若々しい真摯さは変わらない、とふたたび感銘を受けました。

上田さんの昨今の事件や紛争への思いとして、
「人間は善か悪かできなく、善にも悪にもなる。どういう人間になるかは人間自身に委ねられている。」ところが、「それを決める自由がゆがんだかたちで働いている。何とも情けない社会になっている。」

ならばどうしたらいいか。
「自分がどういう人間かを考え、真剣に生きることで、響き合う人と必ず出会う。」
恩師西谷啓治さんや多くの友人に恵まれた体験から分かったことは、
「ほとんどの人は亡くなりましたが、思い出は単なる記憶でなく、響き合う感覚を思い出すことで常に生きてくる」。
そう、この現在の社会に生きる私たちの魂に深刻に欠けているのはこの「響き合う感覚」なんだ、とハッとしました。そのように名づけられ、初めて分かるいわば欠如、です。

上田さんは今も真夜中に思索しながら、星を眺めるそう。
「あの星から、誰かがこっちを見たら、わたしがこの星を眺めているように見えるのかな。」
その不思議な感覚が、「響き合う感覚」であり、
つまりは人間として生きる実感なのだと思います。