昨夜のNHKの「視点・論点」は柳美里さんの「詩人尹東柱」でした。
命日を記念してのことでしょう。
この番組をたまたま見ることができたのは、
夫がテレビのある部屋から台所でお皿を洗っている私に
「おーい、ユンドンジュだって」
と知らせてくれたからです。
この時間帯はいつも自分だけテレビを見て人に皿洗いをさせて、と
腹を立てるのですが、
このときだけは寝そべってテレビを見続けてくれて、お手柄。
私も貴重な番組を見ることができました。
ほんの少しだけでしたが
真摯な話しぶりに鋭敏な詩的感性を感じました。
東柱の詩とは
宗教や政治に揺れ動く自分を見つめる
もう一人の孤独な自分との対話である──
そう語られていたかと思います。
「孤独」というテーマについて
柳美里さんには最近印象的な記事があります。
今年1月13日付の朝鮮新報文化欄に書かれた「朝鮮大学校訪問記」。
昨年秋に学生さんたちと対話したそうです。
そのとき柳美里さんは、今大学校の学生たちが
「常に新しい不安と危機に曝され、孤独感を覚えながらも、「孤独」によって「連帯」すべく、自分と向き合い、友人と向き合い、日本と向き合い、家族と向き合い、朝鮮と向き合い、世界という向き合おうという極めて前向きな姿勢と意志を持っている」
と確信したそうです。
また、その反対に日本を覆う「孤独」は暴力に結びつく分断の孤独である、と考察されています。そしてご自身の「書く」行為は、そうした孤独な暴力と背中合わせであった、と。
「書く、という仕事を選んでからは、あと一歩で敵意に変わるような大きな怒りをかかえながら、怒りの矛先を自分に向けて、書くことで怒りと闘ってきました。」
この柳美里さんの「書くこと」は、
東柱の「書くこと」と異なるものではないと思います。
番組の終わりにも朝鮮大学の訪問について触れていました。
対話した一人の女子学生のノートに、東柱の原詩のコピーが貼り付けてあった──
きっとノートをひらくたび
あの澄んだまなざしがいつも彼女を励ますのでしょう。
「自分の怒りと闘え」と。