最近、在日の友人が
「軍事境界線を取材した番組を見たけれど、その付近に住む人のインタビューの中で、
大事な部分が字幕で翻訳されていなかった」
と教えてくれました。
その番組、私もみたんですけど、たしかに変だなって思っていた。
「ここに住んでこわくないですか」
「いいえ、まったくこわくないですよ」
というような応答で終わっていたと記憶します。
私もその言葉が根拠のない確信に思えて、変だなと感じた。
じつは、そのあとの次の言葉が訳されていなかったそうなのです。
「私たち(注:南北の人々)は同じ同胞ですから」。
最後のそのひとことを翻訳しなかった理由は明白です。
視聴率、政治的配慮、エトセトラ。
しかし根本的には「同胞」なんて嘘っぱちだ、という
日本人の根深い冷笑主義もそこにはあると思います。
日本人は本当にさびしいな。
「同胞」という言葉を聞きたくなくて
在日社会に対し、みんな耳をふさいでいるんだとあらためて分かる。
人間は孤独なんだよ
みんなどうせ一人で死んでいくしかないんだよ
死んじゃったらそれでおしまいさ……
という一種宗教に近い暗い信念を、私たちはたしかに持っている。
だから集団主義とか組織とか大嫌い。
共同体とかつながりとか友愛とかに
時折あこがれたりするけれど
すぐにそんなの嘘だ、きれいごとだと体が否認してしまう。
(鳩山政権は恐らくラディカルすぎたにちがいない)
無縁社会というのも必然でしょう。
(最近、近所で夫婦の孤独死があり、暗澹としています)
それほど分断されてきたのか、とも思いますが、
私たちの孤独とはそもそもはマジョリティの傲りの裏返しであり
マジョリティの傲りの裏返しには孤独なのだと思います。
マジョリティとして生まれるのもまた宿命的なことですが、
しかし早くそうした孤独地獄を抜け出さなくては
将来一人一人が
恐ろしいしっぺ返しを受けるはず。