昨日、「朝鮮新報」第二面にリーフレットの内容が紹介されました。
美しいレイアウトと、何体というのか、繊細な字体で、寺岡さんの編集後記と私の「ハッキョへの坂」が並んで大きく掲載されました。私の詩には、東京朝鮮中高級学校の文化祭で、少女たちが合唱する写真を、取り合わせていますが、ベストマッチです。私もこの詩を、友情が一つの歌となっていくイメージで書きましたから。寺岡さんの文のほうも、リーフレットの上に輝くボールペンが載っている写真が挿絵になっています。申し込み先も明記していただき、感謝しています。
ところで、自分の詩をあらためて読んでみると、第二連四行目と五行目に「靴」が繰り返されているのに気づきました。
この朝も/あなたはハッキョへの坂をあゆんでいく/靴はちょっと汚れたか/靴はまだ履いて間もないだろうか
この二行を「ちょっと汚れた靴は/まだ履いて間もないだろうか」にしても意味は同じだし、こうすれば靴を繰り返さなくてもよかったのです。しかしそうしてしまうと、汚れたことが事実として確定してしまいます。私はこの詩で、花びらが降る浮遊感のように、すべてを不確定にし、そしてそれだけに別な現実や新たな未来への可能性を大きく膨らませたかったのだと思います。だから靴を2回繰り返した。そしてここで「あなた」は複数(第三連で「二人三人」とあります)ですから、坂を急ぐ少女たちの靴と靴という複数性も出したかったのかもしれません。
ちなみにこの詩は昨年12月と今年2月の2回見学させていただいた京都中高級学校での印象とその通学路である坂道から発想したものです。詩はこのブログでも3月に紹介しています。