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河津聖恵のブログ 「詩空間」

この世界が輝きわたる詩のプリズムを探しつづける。

埼玉・宮城両県知事へ石原吉郎の言葉をおくります

先日このブログでお伝えした埼玉朝鮮学校への補助金不支給見送りの件ですが、
本日の水野崇さんのコメントにあるように
埼玉県は二転三転し、4月5日に結局補助金不支給の決定を下しました。

先ほど、埼玉県の担当者に再度電話を掛けました。

詳しい者が席を外しているとのことでしたが、とりあえず出た女性は、やはり、校地が抵当に入っていることを理由にあげました。

しかし先日も書いたように、朝鮮学校の校地は地元の反対などで移転を繰り返し、借金を背負わされてしまったという、日本社会の側の責任が大きいですし、そもそも国の援助は一切ないのだから、財政難は当然なはずです。そして朝鮮学校は日本が奪った母国語を学ぶ場所なのですから、日本が母国語や母国の文化を安心して学ぶために支援するのは当然です。

言葉を奪った者はその言葉を返さなくてはならない、という四方田犬彦さんのテーゼはあたりまえです。そしてそのように責任を取ることが、マイケル・サンデルのいう、国家という共同体の人格を作っていくのです。

昨年から埼玉の上田知事と宮城の村井知事は、揃って、朝鮮学校への補助金の不交付を主張しだしました。過去からあった財政の問題を口実にして(財政の「不健全」などという誤解を招く言葉を強調して)、両知事の主張の背景には、政治的な背景があることは一目瞭然です。

朝鮮学校をつぶしたい、そうすれば過去を水に流せるから。かれらを支持する人はそうたくらんでいるのでしょう。しかし、放射能が水に溶けないように、犯した過去の罪は消えるものではありません。みずから犯した罪と向きあわないことは、国家という人格をメルトダウンさせていくだけです(在特会を想起して下さい)。

もはや憤りも悲しみも感じません。詩人の石原吉郎が伝える、シベリア強制収容所で取り調べを受けた友人鹿野武一が、取調官に言った言葉が、胸に炙り出されてきます。

「もしあなたが人間であるなら、私は人間ではない。もし私が人間であるなら、あなたは人間ではない。」

石原は「この言葉は挑発でも抗議でもない。ありのままの事実の承認である」と書いています。そうです、上田知事に対しても、村井知事に対しても、私たちは怒りや悲しみを覚える必要はありません。鹿野の言葉どおり、ありのままの事実を突きつければいいだけです。そしてもはや「人間」を「日本人」といいかえてもいいのです。