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河津聖恵のブログ 「詩空間」

この世界が輝きわたる詩のプリズムを探しつづける。

言葉と戦車

ノルウェーでの凄惨なテロの詳細が分かるにつれ
私の中でも大きな衝撃が拡がっています。

被害者を有無を言わさず二度撃って確実に殺害したこと、
対岸の住民は1時間半もの間、数え切れない銃声を聞いたこと。

私はアウシュヴィッツなどの強制収容所での
ナチスによる「囚人」たちの虐殺を思い出しました。

ナチスは確実に殺すために「うなじ撃ち」をしたといいます。
そして収容所の解放前に何日も間断なく
銃声が止まなかったと周辺住民も証言しています。

私もドイツやポーランドで記念館となっている
いくつもの強制収容所を訪れたことがありますが
そのたびに暗く重い気持になりました。
話には聞いていても、いざ証拠物件である遺品の山を見たり
暗いガス室のひんやりとした空気の中に入ると
「いつ、歴史が繰り返すかもしれない、自分の身に起こるかもしれない」
と肌身でぞっと感じたものです。

たしかにナチスドイツの記憶を風化させまいという
主体的意志のつよいヨーロッパは
外国人差別に対しては市民レベルでも
確固たる反対運動が根強く存在しつづけています。

しかしベルリンの壁崩壊以降、外国人に対する空気は変わりました。
その前後に訪れた私もそれはたしかに感じました。
さらに9.11以降は、移民や異民族に対して
市民の無意識には生体反応ともいうべき恐怖が拡がっているはずです。

極右の動物的で陰惨な嗅覚はそこにつけ込み、魔手を伸ばしているのです。

悲劇のあった島ではきっと
若者たちはそんな社会の空気を変えたいというそれぞれの思いについて
語り合っていたことでしょう。
交わし合うことばの一つ一つには真剣な陰影と共に
新鮮な未来の予感が輝いていたでしょう。
その輝きを残忍な犯人は憎んでいたはずです。
憎悪の対象である普遍的なことばの存在に対し
暗く物質的な武器の力で押しつぶす欲望に身を踊らせたのです。
9.11以降の世界は何という悪魔を生み出したのでしょうか。

しかし、犯人は決して勝利しない。
「これはノルウェー にとって“新しい感情”なんだ」(容疑者の車を襲おうとした男性)。若者たちは死者のために、未来のために考え抜き、
この世界を生き抜くため新しい感情を必ずことばにするでしょう。

加藤周一さんの「言葉と戦車」から引用します。

「言葉は、どれほど鋭くても、またどれほど多くの人々の声となっても、一台の戦車さえ破壊することができない。戦車は、すべての声を沈黙させることができるし、プラハの全体を破壊することさえもできる。しかし、プラハ街頭における戦車の存在そのものをみずから正当化することだけはできないだろう。自分自身を正当化するためには、どうしても言葉を必要とする。すなわち相手を沈黙させるのではなく、反駁しなければならない。言葉に対するに言葉をもってしなければならない。一九六八年の夏、小雨に濡れたプラハの街頭に相対していたのは、圧倒的で無力な戦車と、無力で圧倒的な言葉であった。その場で勝負のつくはずはなかった。」