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河津聖恵のブログ 「詩空間」

この世界が輝きわたる詩のプリズムを探しつづける。

『空が青いから白をえらんだのです──奈良少年刑務所詩集』(詩・受刑者、編・寮美千子)

「空が青いから白をえらんだのです」Image1426 

何とセンスのいいコピーだろう、と思われるかもしれません。
しかしこれは、『奈良少年刑務所詩集』に収められた作品。
タイトルは「くも」。

この詩集の詩は、
編者の寮美千子さんが担当した同刑務所の
「社会性涵養プログラム」の「童話と詩」の授業で
受刑者の少年たちが書いたものです。

受刑者の詩?! 
最初どんな作品に出会うのか、はらはらしましたが、
しかし頁をひらき作品を読み、そして寮さんの解説を読むうちに
私はいいがたい感動にとらえられていきました。

作品自体は決して上手なものばかりではない。
しかしそこにある素直な言葉のすべてには
真実の思いが染みていました。

詩集を読みながら
この子たちにとって
寮さんの授業で、言葉にあらためて出会い直すことは
とても大切なことだったのだと感じました。

犯罪に至るまでのそれぞれの過去において
恐らくかれらを傷つけ
あるいはかれらもまたそれを傷つける手段として用いた
言葉。

しかしこの詩の授業では
その言葉は
傷を負った無名の詩人たちにほほえみかけました。
少年たちと言葉との再会の瞬間が
この詩集にはいくつもきらめき残されています。

少年詩人たちは罪を犯し、罪を自覚し
重い沈黙の扉を閉ざしていました。

しかし、かれらにとって思いもかけなかった詩という存在が、
光の通路をひらいたのです。

上の一行詩にあるのは
雲の気持そのものを感受した、優しく無垢な魂。

作者のA君は、「この詩を朗読したとたん、堰を切ったように語りだした」そうです。

「今年でおかあさんの七回忌です。おかあさんは病院で
『つらいことがあったら、空を見て。そこにわたしがいるから』
とぼくにいってくれました。それが、最期の言葉でした。
おとうさんは、体の弱いおかあさんをいつも殴っていた。
ぼく、小さかったから、何もできなくて・・・・・・」
Aくんがそう言うと、教室の仲間たちが手を挙げ、次々に語りだしました。
「この詩を書いたことが、Aくんの親孝行やと思いました」
「Aくんのおかあさんは、まっ白でふわふわなんやと思いました」
「ぼくは、おかあさんを知りません。でも、この詩を読んで、
空を見たら、ぼくもおかあさんに会えるような気がしました」
と言った子は、そのままおいおいと泣きだしました。
自分の詩が、みんなに届き、心を揺さぶったことを感じたAくん。
いつにない、はればれとした表情をしていました。

このように
寮さんの授業では本人が自作の詩を朗読し、
みなで感想を述べ合います。
そしてこの過程は確実に受刑者たちの心を変えるとのことです。

つまり朗読をきくことで他者に共感する力が養われ
朗読をきいてもらうことで他者から共感される喜びが、さらに共感する力を養う・・・。

寮さんは書いています。
「うまいへたもない。『詩』のつもりで書いた言葉がそこに存在し、それをみんなで共有する『場』を持つだけで、それは本物の『詩』になり、深い交流が生まれるのだ。」

つまり受刑者たちにとって「詩」とは
仲間と共に生き直す、蘇生のための言葉であり、
朗読しあい、耳を傾け合うという時間は、生まれ直す「神聖な時間」だったのです。

もう彼らの年齢以上に書いてきた私は、かれらほど真剣に詩に向き合ったことがあるだろうか?。

詩の言葉に対するかれらの真摯さは
アウシュヴィッツを生き残ったパウル・ツェランにも
匹敵するかもしれない。
ツェランはかれらとは真逆の難解な詩人ですが
しかし
「言葉だけが自分に残った」という意識と感謝において
受刑者詩人と同じ光をきっと見たはずだと思うから。