徐京植『在日朝鮮人ってどんなひと?』(平凡社)は
「『在日朝鮮人とは何か』というテーマを中学生にも理解できるように」書かれた本です。
中学生がこれをどれ位理解できるかは分かりませんが、
私には大変分かりやすかったです。
そしてこれから在日朝鮮人に対し日本国家が突きつける様々な問題について考える際に、
バイブルになってくれる本だと思います。
しかし私だけでなく
多くの日本人が在日朝鮮人についての知識においては「中学生」なのではないでしょうか。
ご自身が当事者である徐さんがその人生で鍛え続けてきた
「自分とは一体何者であるのか」をめぐる思考の筋力と
「あなたとは一体何者であるのか」を考えてほしいという
日本の若者に対する熱い要請の思いが、
神経をはりめぐらし丁寧に語られる言葉と論理のすみずみから
伝わってきます。
歴史や制度について考えることが苦手な私ですが、
難解に思ったり、飛躍的に感じたりするところは一つもありませんでした。
在日朝鮮人という存在は
日本人がその歴史や現実を知らなければ、
容易に記号化され、ときには敵にさえ仕立て上げられる。
私も、朝鮮学校の無償化問題で殆ど初めて在日朝鮮人と出会ったのですが、
それでも「なぜ眼の前にこの人が、在日朝鮮人として存在するのか」を
つねに自分の言葉で表現し理解しようと努めなくては、
すぐに「まるで日本人のように存在している」という
平板で自己中心的な関係になってしまうでしょう。
そのような関係では
その人が物心ついた時から抱え込んでいる苦しみと内的葛藤を見ないことになり、
本当に出会ったことにはならないはずです。
この本のタイトルにある「在日朝鮮人」という呼称は重要です。
なぜ一般に使われにくいこの言葉を徐さんはあえてタイトルに使ったのか。
「たとえ気が重くても歴史を知り、『朝鮮』という言葉を虐待から救うべきだと私は考えています。言葉を救うためには、虐待されている人間たちを救わなければなりません。だから私は、『在日』とだけ呼ばれているその人々が『朝鮮人』なのだということをはっきりさせるためにも、『在日朝鮮人』と呼ぶべきだと考え、それを実行しています。このようにきちんと呼ぶことによって、その人が誰であるのか、なぜ日本にいるのかということ、つまり存在の『歴史的由来』を思い出させることになるからです。」