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河津聖恵のブログ 「詩空間」

この世界が輝きわたる詩のプリズムを探しつづける。

『環』56号 (藤原書店)に「蛇の口から光を奪へ!―立原道造」(「詩獣たち」第13回)を書いています

『環』56号 (藤原書店) に連載「詩獣たち」の第13回として、

「蛇の口から光を奪へ!―立原道造

を書いています。

(刊行からだいぶたってしまいましたが)

毎回この連載には

時代の危機に抗いながら詩を書いた「獣」たちを

私の共感にもとづいて紹介しています。

今回立原道造を取り上げたのは、

私が詩を書き始めた高校一年の時に

初めて出会って

「詩とは別な時空の入り口である」ことを

自分の心の奥から知らせてくれた詩人だったことを

思い出してのことです。

まだ詩というものがよく分からない15才の私は、

とりわけ「のちのおもひに」という詩にある

次の部分に

どこでもない空虚な時空に吸い込まれるような思いがしました。

――そして私は

見て来たものを 島々を 波を 岬を 日光月光を

だれもきいてゐないと知りながら 語りつづけた……

夢は そのさきには もうゆかない

なにもかも 忘れ果てようとおもひ

忘れつくしたことさへ 忘れてしまつたときには

「忘れつくしたことさへ 忘れてしまつたときには」

とはどのようなことなのか―

詩人自身についてはよく知ることもないまま

この浪漫的な忘却のめくるめくような感じは

解き明かせない謎と生き生きとした魅力として心の奥に残されました。

そして立原の詩に誘い出された

私自身の忘却への欲望(まだ忘却したいほどの何の記憶も経験もない思春期の少女でしたが)。

それが長い時を経て

11年前に出した『アリア、この夜の裸体のために』に収めた

そのタイトルも「今わたしはなにかを忘れてゆく」という詩に

ふいに響き出したのでした。

今回の論を書きながら立原の「忘却」に惹かれた自分についても

考えるよすがを与えられた気がしています。

「「忘れつくしたことさへ 忘れてしまつたときには」という一行は恐らく、リルケの「追憶が多くなれば、次にはそれを忘却することができねばならぬだろう。そして、再び思い出が帰るのを待つ大きな忍耐がいるのだ。」(大山定一訳『マルテの手記』)という箇所と共鳴する。この詩の「私」は忘却の主体であり、記憶と「悔い」」(これは詩獣が最も忌避した感情だ)の主体、つまり近代的自我とは対照的な主体である。それは、忘却の果てに現れる絶対的な空虚としての「ふるさと」に溶け込もうとする、いわば「浪漫びと」である。それは満州事変からアジア太平洋戦争へと向かう時代のさなかに、孤絶を選びとった詩獣の「私」のあり方だった。」

この箇所には異論もあるかと思います。

「忘却」とは美しいが無責任なものであり、

「浪漫びと」というあり方は国粋主義をその思想とした「日本浪蔓派」への接近を準備したものではないか―

しかし

小林多喜二よりも11年遅れて生まれた立原の時代の苛酷さと

そこで短い生を予感し詩のためだけに生きようと決意した「詩獣」の生の切実さを

ありのままに想像していきたいと思いました。

戦間期に吹き荒れた時代の暴風雨に抗い

屋根裏部屋から、あるいは避暑地の草むらから

灯された立原の言葉のランプは

今の時代に生きることと書くことをも不思議な舞台のように照らし出してくれると思います。

9784894349520