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河津聖恵のブログ 「詩空間」

この世界が輝きわたる詩のプリズムを探しつづける。

2月17日付京都新聞朝刊 詩歌の本棚/新刊評

2月17日付京都新聞朝刊 詩歌の本棚/新刊評

                                      河津聖恵 

  一月十五日、吉野弘氏が亡くなった。享年八十七歳。高校の教科書で読んだ「I was born」や「夕焼け」には、今でも静かな感銘を覚える。柔らかなまま鋭く世を撃つ言葉の佇まいが美しい。最近では「生命は」が映画で朗読され話題になった。「生命」、「欠如」、「他者」という硬質な言葉で、生命のゆるやかなつながりをうたった秀作だ。「世界は多分/他者の総和/しかし/互いに/欠如を満たすなどとは/知りもせず/知らされもせず/ばらまかれている者同士/無関心でいられる間柄/ときに/うとましく思うことさえも許されている間柄/そのように/世界がゆるやかに構成されているのは/なぜ?」(第三連)そしてこの後で、「他者」は虻や花や光や風となり、生命のつながりの姿が見事に立ち現れる。

 

 伊藤公成『カルシノーマ』(澪標)もまた、吉野氏とは別な切り口で生命をテーマとする。「カルシノーマ」は「がん」。がん研究者でもある作者は京都、シンガポール、長崎の研究機関で、無数の実験動物と患者のがん細胞を見つめてきた。がん細胞を見つめることは、それらの闇に見つめられることでもあった。小動物の命を奪った罪悪感、科学と人間に対する絶望、そしてがんの「複雑さと奥行きに打ちのめされ」、「宇宙の広大さを前にする感覚」が錯綜するこの詩集は、凄絶な孤独を、詩の美しさへ接合しようとする。

「ヒトの組織とはなにか/眼下に横たわるものはなにか/この無数の気配//ときどき暗い胃をみる/蛍光色素を拒絶する/暗い星の集団/黙りつづける大都市の闇//沈黙の胃に出会うとき/自分は降りたつ場所をみつけられない//――「がん」だ」(「蛍光染色法」)

「腫瘍の病理観察/米つぶのような病巣の切片が/顕微鏡の視野いっぱいにひろげられる/鳥になって飛びまわり/自在に舞いおりる自分の眼/ここには/過去と未来の時間がながれ/物語がつきることなく語られる」(「カルシノーマ」)

 

 加藤思何理『すべての詩人は水夫である』(土曜美術社)はシュルレアリズムの実験詩集。だがイメージとイメージの関係を切断するのでなく捻りつづける。蚕のようにイメージの糸を紡いでは鮮やかな夢想の繭を生んでいく。少年時に見た「乱雑で凄惨、だが抒情的で神的に初初しい映像」(「火花の匂いのするエピローグ」」) を、「美しく鮮烈な存在感」(同上)のまま蘇生させる試みだ。物語性からもっと離れていいと思うが、生命の詩的蘇生への意志はつよく感じる。

「そして静かな船は夜明けに河港に帰り着く。曙光が暗い大地に薔薇色の刺青を施すのがありありと見える。それから透明なぼくは摺り足で家に戻り、独りで未知の少年に生まれ変わってふたたび目醒めるのだ、読まれることのない本のページにこっそり書き記されたいつもの屋根裏部屋の、氷河のように冷えきったベッドのなかで。」(「五月にぼくたちが乗る船は」)

 白川淑『京のほそみち―あるきまひょ うたいまひょ』(編集工房ノア)の作者は、京都に生まれ育ち他府県へ移り住んだが、六十歳を過ぎ「産土」に戻った。そして改めて豊かさに目を瞠った「京ことば」で、詩を書いた。言葉の不死の炎で生命を蘇らせるように。

「ほわっ ほわっ ほわっ ほわっ/とび交わす 闇の奥のふたつのあかり/こっちへおいない ほたるさん/ひと晩だけのいのちやしぃ/いっぱい生きてや ほたるさん/あやかりたいけどぅ うちかて/妖しげな その あかりに」(「ほたるがり」―哲学の道