昨日午後三時頃、家からほど近いケーブル八瀬駅からケーブル比叡駅を経て、ロープーウェーで比叡山山頂まで行きました。
私の住んでいる所はすでに比叡山の麓ですが、時折思いたっては、地上の喧噪を離れ、山頂にぼんやりしに行きます。地上800メートルにある、まさに空中庭園のガーデンミュージアム比叡で、珈琲を飲むだけなのですが。
ここはとにかく私にとって不思議な所です。そして思い出深い場所。
「ふたたび花園」(『神は外せないイヤホン』という詩でもふれていますが、六年前のちょうど今頃、病院の診察で引っかかり(医者が体をさわって真っ青になった瞬間、もうだめだと思いました、実際だめでした)、検査結果を翌日に控えた日曜、死刑宣告前のまっくらやみの気持で地上からここに逃れてきました。モネの庭園を模した美しい花園は、折しもバラが満開で、色とりどりの花弁が、真空めいた薄い空気の中で、怖いくらいに非現実的に揺れていました。
昨日はあの時の非現実性がかすかにフラッシュバックしながらも、六年後のサバイバーの、それなりにしっかりした足取りになったな、と、庭園を歩きながら思いました。まだバラには少し早く、ポピーが咲き誇っていました。
ところで、ここまで来るには、ケーブルとロープウェーを乗り継ぎます。
ケーブルカーは、1925年に開業。それに接続されているロープウェイは日本初のもので、1928年に開通したそうです。ケーブルカーの高低差は561m、これは日本最高だとされています。
しかしなかなか知られていないのは、そのケーブルカー・ロープウェイ工事が、多くの朝鮮人労働者で支えられていたこと。車窓から土砂を堰き止める石壁が見えましたが、その城壁めいた古い石組みにも、歴史の闇に忘れられた痛苦がこめられていると思うと、胸がつかれました。
たしか尹東柱も、京都に留学中の冬休みに、このケーブルカーとロープウェイを乗り継ぎ、琵琶湖へ抜けたはずです。京都を見下ろすこの風景は当時と変わっていません。どんな思いで見つめていたのでしょうか。