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河津聖恵のブログ 「詩空間」

この世界が輝きわたる詩のプリズムを探しつづける。

中国吉林省・延辺朝鮮族自治州をめぐって�J8月24日半後半(2)

さていよいよ尹東柱の墓前でのミニ朗読会です!!
東柱のお墓への道は案内表示があった所を過ぎてしばらくすると
未舗装のでこぼこ道で車は泳ぐようでした。

やっと到着した墓地は丘の上にありました。043

立ってみてまず感じたのは
空がとても間近に思えること。
正確には天の青色が
丘を慈しむように触れるようにすぐそこに感じられたこと。

「死ぬ日まで空を仰ぎ/一点の恥辱(はじ)なきことを、/葉あいにそよぐ風にも/わたしは心痛んだ。」(「序詩」より)

まさにこの「序詩」にある「空」=「天」でした。
「葉あいにそよぐ風」も、そして風にも傷つく「心の痛み」も。
「丘」も東柱の詩にはよく出てきますが、
このような故郷の丘の記憶がイメージの底にあるのでしょう。
「星を数える夜」の「夥しい星明かりがそそぐ丘」を思い出しました。
あの詩は創氏改名届けを出す決意と悲しみをうたったものですが、
夜になればこの丘にも
まさにあの詩にうたわれた
真実の名を取り戻した人々の魂のような美しい星々の光が降り注ぐのでしょう。

お墓はこんもりとした小さな山でした。Imgp0625

朝鮮式のお墓です。
日本の古墳を小型にしたような感じ。
東柱のお墓のように墓石があるものもありましたが
まだ墓石がなくて小山だけのものも多かったでした。
そこに詩人が眠っているのですが、
しかし何かお墓にいるという気はしません。
詩人の魂は
この緑と風と空と光のすべてにいきいきと遍在しているように思えます。

また近くに、東柱と運命を共にし、やはり福岡刑務所で虐殺された従兄の宋夢奎のお墓もありImgp0628
ました。

さて、朗読会。
運転役の林さん、明東村の村長さん、丁章さんの奥様、お二人のお子さんの
はからずも計五名もの観客の前で、
東柱に捧げるためにそれぞれが持ち寄った詩を、
丁章さん、私、愛沢さん、方龍珠さんの順番で朗読しました。
僭越ながら私も朝鮮語を教えて貰っている友人から特訓を受けて
自作「プロメテウス─尹東柱に」を朝鮮語で、何とか、本当になんとか、朗読し終えました!!(東柱の眠りを妨げたかも? いえ心だけが届けばと。)

丁章さんはご自身が訳した東柱の詩「十字架」(この前の記事でも話題にしました。)
愛沢さんは未発表詩「地震の国から南の島の子どもたちへ」を朝鮮語で読まれました。

十字架

                      尹東柱(訳・丁章)

追ってきていた陽の光だったのにImgp0612
いま 教会堂のてっぺんの
十字架に射しかかりました。

尖塔があんなにも高いのに
どうして上がってゆけるでしょうか。

鐘の音も まだ聞こえてはいないのに
口笛など吹きながら ゆかずもどらずしているけれど、

苦しんでいた男、
幸福なイエス・キリストにも
そうだったように
十字架が もし 許されるならば

頭を垂れて
花のように咲いてゆく血を
暗闇におおわれてゆく空の下で
静かに流すつもりでいます。

地震の国から南の島の子どもたちへ

                          愛沢 革

                     Imgp0617    
学校帰りに横道へ
迷路のような路地にも
牛や豚や鶏がいても平気で
わらわらとあふれ出たきみたち。
半世紀前に日本の子どもだったぼくも
今のきみたちと同じように
解放された午後の日差しの下を
友だちとともに駆け抜けた気がする
そのころぼくは知らなかった
かつて日本軍の兵士となった
ぼくらの父や祖父たちが
きみたちの島に攻め入ったことを
「桃太郎の鬼退治」を地で行くように
逆らう悪鬼をなぎ倒すはずが
きみたちのおじいさんやおばあさんを
あちらでもこちらでもたくさん殺した
日本軍も日本国家も
その人びとの名はもちろんその数さえ
一度もたしかめないまま
あやまりもせず知らんぷりして
六十年も七十年も放ったらかしだ
耳に痛い忠告には
見ざる・聞かざる・言わざるを決め込み
最近も原発事故を防げなかった
ろくでなしのこの国には
ぼくらももはや引導を渡し
性根をたたき直してやるつもりだ
虐殺をくぐって幸いに生き残った
きみたちのおじいさんやおばあさんを
大事にしてくれ ぼくらの子たちにも
海や山や里に生きる人びとを
牛や豚や鶏をもふくめ
大事にせよと教えなければ

プロメテウス  ──尹東柱

                         河津聖恵

加茂大橋の欄干にもたれ 夏の北山をのぞむ041
(白い闇を抱え)私は帽子をまぶかに
��死ぬ日まで天を仰ぎ�≠ニ呟く小さな人になる(誰もみない)
遠近法よ 揺らげ…
(緑は故郷のように近づき 水は未来の北方を青く映す)
光、光、絶え入るすべての至福と哀しみ その明るみ…
詩人が恥じ 慕わしく消した名��童舟�≠熕テかに蘇る
この冬 春の幻のようにあなたをふかく知った
��私を呼ばないでください�≠ニいう遺言に逆らい
プロメテウスと名付ける あなたを知ってゆく私を

この詩は、2007年夏に「文藝春秋」に発表したものです。
同年の冬、当時大きな病気の手術をして1年位でしたが、
身体は癒えても精神的な落ち込みがまだ続いている時に
ちょっとしたパニック症状に襲われ
その時に東柱の『空と風と星と詩』をノートに書き写すことで耐えた、
という経験をしました(「この冬 春の幻のようにあなたをふかく知った。」とはその事実を暗示します)
そのことと、
同年6月の梅雨の晴れ間の日に
加茂大橋の上からぼんやり北山を見ていた、という経験を重ね合わせたものです。
その日も落ち込む出来事がありました。
暗澹とした気持で見ていた夏の北山の緑が、妙に迫ってくるようでした。
あとで作品を作る段になって、
加茂大橋が京都に留学していた東柱の通学路にあたることを思い出し、
あの時のように詩人も暗い気持で山を見たことがあったのではないか、
と想像を膨らませていったのです。

そんなこんなが、短く舌足らずながらも重なりあっている作品です。

そしてこの作品が2009年に朝鮮の文学者の目に止まり
「朝鮮新報」で紹介されたことから、在日コリアンの人々との交流が始まり、
朝鮮学校を知ることにもなり、
真摯に学ぶ生徒達の姿を知った後で持ち上がった高校無償化除外問題に
直面して学校支援に関わることになったのです。
そして『朝鮮学校無償化除外反対アンソロジー』を世に送り出すことにもなりました。

そんな自分が今、東柱のお墓の前に立ち
彼に捧げる詩をハングルで読むことになった──
不思議な縁を感じさせるをえません。
また京都で今住んでいる場所は
偶然にも東柱の住んでいたアパートのすぐそばです。

この世には何か見えない糸がはりめぐらされている。
今このミニ朗読会に集う人々は
それぞれに東柱との縁をたぐり続けた結果、
遙か海も国境も越えて、詩人の墓の前に立っているのではないでしょうか。
彼の詩に魅せられ、
また詩人が最後に放ったといわれる叫びを聞き届けようとするように。
そして何よりもこの丘をめぐる
「空と風と星と詩」に呼ばれて。

最後に延吉の作家、方龍珠さんがImgp0618
「序詩」を朝鮮語で朗読してくれました。
巡り合わせのようなこの旅の、全ての出発点にある詩です。
「チュンヌンナルカジ ハヌルルウロロ…」
低く抑制した万さんの朗読が今も心に残っています。