着いた翌日は延吉の市内観光をしました。
まず博物館を訪れました。
しかしここは、60周年に向けて陳列の入れ替え中で見られませんでした。
次に共産党の建物(なぜここで降りたか記憶にないですが)。
その建物の偉容に驚きました。
上部には燦然と輝く丸い赤と金の国章。
カメラを掲げると警備の人に制止されました(でもこっそりぱちり)。
共産党が絶大な権威のある国なんだなあ、ああ中国にいるんだ
と実感しました。
ここにもおおぜいの労働者がいて
工事の槌音が響いていました。
そして延吉芸術劇場へ。
劇を見に行ったのではなく、「延吉監獄跡」の石碑がお目当てです。
ここにはさらに多くの労働者(ワークシェアでもしているのかと思うほど多い)がランチタイムで(ネギを挟んだサンドを食べてました)、
私たちを不思議そうに見つめていました(それはそうですよね)。
「延吉監獄」の正式名称は「満州間島省第4監獄」です。
日本の植民地支配下ここには
多くの抗日義兵たちが収監されていたのです。
碑に彫られたハングルを私は少ししか読むことができませんでしたが、
ここに閉じ込められていた人々については想像がつきます。
間島省は、清朝に朝鮮から移住してきた朝鮮族が住んでいた地域。
清国領だったため日韓「併合」後も日本は容易には手出しは出来なかった地です。
そのために朝鮮人による抗日パルチザンの地となっていき、
それだけに日本軍の憎悪を買っていきました。
少しずつ日本は清国からこの地域に対する様々な支配権を手にしていきます。
やがてこの抵抗の地を徹底征伐の挙に出ます。
1920年10月21日には青山里(チョンサンリ)戦闘。
ちょうどその1日前に現在延吉市の隣にある龍井(リョンジョン)市の
詩人尹東柱の故郷・明東(ミョンドン)村の明東小学校が焼き討ちに遭いました。
明東はとりわけ抗日運動の基地とみなされていたのです。
当時東柱は三歳。
その2年後には凄惨な「間島(カンド)大虐殺」が始まり、
日本軍は間島一帯に出兵し朝鮮人の村を焼いて三千人が殺されます。
幼い詩人は、ぴりぴりとした空気に伝わってくる
人々の悲鳴や炎や血の匂いをつねにどこかしら感じていたに違いありません。
東柱はクリスチャンの両親の元に生まれ
自身も幼児洗礼を受けていますが、
そもそも儒教だった明東村は
キリスト教を「政治的避難所」として受け入れたという事情がありました。
ふと詩人に話がそれましたが、
この石碑に刻まれた歌詞は日本語にすると以下のようです。
「風強烈な南北満州広漠な野原に
赤旗に爆弾を抱えて戦った身体が
延吉監獄閉じ込められた後、身体は枯れても
革命に沸く血がどうして冷めるだろうか 」
この抵抗歌「延吉監獄歌」は
監獄から外に伝えられ、抗日の志士たちを励ましたそうです。
日本軍にも被害の出た反乱もあったようです。
日本軍のいた気配は今は目には見えないけれど
それでもこの街の人々の一人一人には
両親や祖父母の誰かが殺されたり傷つけられたりしたという
忘れられない記憶があるに違いありません。
ふとすれ違った私たちの語る日本語に
どこか違和感を覚える人もいるかもしれない。
しかし一方でこの延吉は今では日本と文化的経済的な交流もあり
日本へ留学をしたり仕事で渡ったりする人も多いといいます。
世代が変わってきたからでしょう。
しかしこうした石碑(延吉には他にも植民地支配の記念碑や巨大な抗日の志士の像があります)は
厳然と歴史の忘却に抗いつつづけるこの街の決意を示しています。
さて、そろそろお昼時。
次はこの延吉の台所、「西市場(ソシジャン)」へ。
しかし何と今日は定休日で、鉄格子が下りていました。
それでその界隈をウィンドーショッピング。
ランチは冷麺(ネンミョン)を食べました。
私は豆乳冷麺を注文。
その名の通り豆乳のまろやかな味が食べやすく麺は細くて長かったです。
豆乳といえば
この辺りは大豆の産地で(「豆満江」の名が象徴するごとく)、
ホテルでも食堂でも「牛乳かな?」と思って飲むと
温かな豆乳だったり。
木綿豆腐も毎朝出ました。
お腹を満たしたあとはみんなでスーパーへ。
商品が豊富でびっくり。
とくに食料品が(食堂での食事全般もですが)安い!!
全体として日本の半額以下の感じでした。
それから印象的だったのは子供の靴の群れ。
日本ではこんなに子供靴が並んでいるのは見たことがない。
しかも一つ一とてもおしゃれでカワイイ!!
一人っ子政策で子供が可愛がられている証拠でしょうか。
ただ調べてみたら一人っ子政策は漢民族だけに適用されるようです。
延吉では6割の漢民族に対し、4割が朝鮮族ですから
朝鮮族は子供が増えているということでしょうか。
いずれにしても子供が大切にされている雰囲気はいいですね。
理髪店でも子供がゲームをして待つコーナーがあって、目を引きました。
夕方からは
延辺大学の言語学の教授、崔吉元先生を囲んでの茶話会や
前日お世話になった方龍珠先生との会食や
その後の夜の散策と続きますが、
それはまたあとで・・。