「大阪朝鮮高級学校 補助金見送り」。今朝新聞記事の見出しを目にして愕然としました。
記事の中で「要件を満たせなかったのは学校の責任。ひいては保護者の責任でもある」と橋下知事はまた一方的にコメントを言い放っています。いわゆる「自己責任」という浅薄で無思慮な次元で、恥ずかしげもなく堂々と言葉を放っています。
要件とは、肖像画を外すことを指しますが、それが出来なかったのは本当に学校や保護者の責任なんでしょうか。
学校の歴史や実情といった、いわゆることの厚みや深みを無視し、対話をしようともせず、表層的な情報だけでしか判断しない知事の一方的な命令が、反発を呼ぶのはあたりまえです。
知事は肖像画に対する世間一般の違和感を、自分の権威を誇示するために、利用しているとしか思えません。
今朝の朝日新聞での野田正彰さんのコメントに「弱者を敵に見立ててたたく橋下知事流の手法であり、一種のパフォーマンスだ」とありましたが、まさにそのとおりです。
橋下知事こそ、マスコミを使って汚い言葉で学校のバッシングを煽ったことの責任は重大だと私は思っています。それは日本社会が培ってきた常識やモラルにしかけた、いわばそれこそ「破壊工作」ではないでしょうか。
肖像画にはたしかに誰しも違和感を抱くでしょう。マスコミで騒がれれば騒がれるほど。しかしその違和感を楯にして、あるいはそこに固執することで、私たちは学校に対する理解への道を断つことを、あるいは橋下知事の扇動に乗ることをみずからに許してしまっていいのでしょうか?
教育への政治介入としても、朝鮮人差別を煽るものとしても、今回の橋下知事の仕打ちは恐ろしい。しかし日本人一般にとっては、自分でもわけのわからない他者への違和感を、こうしてどんどん政治の方から正当化されてしまうことを、今こそ本当に恐れなくてはなりません。