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河津聖恵のブログ 「詩空間」

この世界が輝きわたる詩のプリズムを探しつづける。

歴史学研究会の抗議声明文を読む(四)

昨日は、夏椿に申し訳ないことを書いてしまいました。Image662
「咲いていたのに、今日初めて気づいた」
いえいえ、夏椿は朝に開花し、夕方には落花する一日花だったのでした。
すっかり忘れていました。
今朝、枝先には花がなく
見れば下に討ち死にしたような、無惨な姿が。
(ごめんね)
しかし目をこらせば、いくつもの蕾が、睫でこの世に触れて
淡い光の夢を見ているところでした。
明日またひとつ、花は目覚めてくれるでしょうか。
今度はもっと心をこめて見つめますから。

今日は、友人たちと喫茶店で少し会話。
ふと、日本人って何だろう、という話に(私が誘導したわけでもないのですが。いえどうだったでしょうか?)。
「もし血統だったら
何代も遡れば、南や北から海流に乗ってやってきた人たちと入り混じっちゃうよね」
「韓国から見下ろせば、日本列島って、まるい湾のように見えていて、優しい感じ。
きっと来たくなっちゃったんだよね」
そんな他愛なくも心ときめく話になりました。

私も、混じる、とか、雑種、という発想が好きです。
どこからか流れ着いた、怪我で動けない野性味あふれる若者を、
岩場でひそかに手当しつづける千年前の私・・・。
素敵なまれびとの肌に触れるうちに、あふれる心を抑えきれなくなり・・・。
しかしやがて傷が癒える頃、彼は記憶をとりもどし、
妻子の待つ海の彼方へと帰ってしまう。
残された私にはすでに新しいいのちが・・・。

なにかかつて少女漫画で読んだことがあるようなシチュエーション(里中満智子の絵がふいに思い浮かびましたが)。
しかし、そんなどきどきするロマンスが
大昔にはきっとあちこちで生まれていたはず。
私の遺伝子にはきっと無限のロマンの記憶が眠っているはず。
ならば今こそ目覚めよ、と遺伝子に命じてみたいです。

それで、また国籍の話(もうやめてよ、といわれそうですが、ここに書こうと決めてしまいました。そうでないと、勉強しないままですので・・・すみません)。しかしここまでくると、「歴史学研究会の抗議声明文」自体からはかなり離れてしまったような。

1951年のサンフランシスコ条約まで
朝鮮人日本国籍を保持していたのでした。
じゃあ、戦後からその時点まで選挙権を持っていたかといえば、
昨日書いたように
1945年衆議院議員法付則の「戸籍法の適用」を受けていないから
(「戸籍法」ではなく「朝鮮戸籍令の適用」を受けていたから
敗戦前までわずかの人々が持っていた選挙権までも剥奪されたのでした。
そのような基本的な権利の剥奪の一方で、
1951年までは日本国籍保持者とみなされていた。
日本国籍を持っているんだから
おまえたち朝鮮人が民族教育を行う朝鮮学校は認めない!と
無慈悲なアナウンスの下で
1948年には阪神教育闘争という形で大弾圧も加えられた。
しかしその直前の1947年には
外国人登録令(また「令」です・・。「戸籍令」と「戸籍法」を想い起こしますが、この「登録令」と「登録法」の違いは??)
が出されるのです。
(この登録令は1952年に廃止され、現行の外国人登録法へと移行しました)
この登録令で
「台湾人のうち内務大臣の定める者及び朝鮮人は、この勅令の適用については、当分の間、これを外国人とみなす」
とされました。
つまり、朝鮮人は、ここで今度は、外国人とみなされてしまったわけですよね・・。
えーっ、と?
一方で朝鮮人は1951年以前は、日本国籍保持者だし、
他方で1947年以降は、外国人でもある。
いったい何がどうなっているんでしょう???
頭が痛くなってきました。ではまた。