#title a:before { content: url("http://www.hatena.ne.jp/users/{shikukan}/profile.gif"); }

河津聖恵のブログ 「詩空間」

この世界が輝きわたる詩のプリズムを探しつづける。

四方田犬彦「いつもすでに中上より遅れて」

現代詩手帖」10月号に『龍神』の書評が掲載されましたので、転載します。「事後性」とは大切な出来事に遅れてしまった、という意識のあり方です。ちょっと「痛い」ところをつかれた気がしました。たしかに私にとって、紀州の自然は、詩を書かずにはいられないほど美しかったのですが、それは、「事後性」、それもまるで「予感」のように鮮やかな「事後性」に、紀州にいる間つねに抱かれていたからにちがいありません。

いつもすでに中上より遅れて──河津聖恵『龍神』   四方田犬彦

 今にして思えば、中上健次の全作品は巨大な事後性Nachtraglichkeitの天蓋のもとにあった。彼は「一番最初の出来事」である兄の縊死自殺をトラウマとして受け止め、それをなんとか補填せんとして書き始めた。だが時間を堰き止められた者は、いつもすでに遅れている。それを回復するには空間の移動に訴えるしかない。彼は謡曲の弱法師を、小栗判官をなぞるかのように、熊野への旅に出かけた。『紀州』という彼のエッセイ集が今なお衝撃力をもっているのは、この事後性への深い自覚ゆえにである。
 今、ひとりの現代詩人がいて、この中上健次の存在そのものを事後性の関数として受け取ったとする。彼女は何をするか。もはや中上どころか、彼が根拠と信じえた新宮の「路地」すらも、痕跡を留めていない。唯一辿ることができるのは、中上が遺した言葉の足跡だけだ。そこで彼女は言語空間の内側で出発する(中上があれほど嫌い抜いた京都から)。その歩みは『紀州』の足跡を辿ることになるだろう。こうして『新鹿』と『龍神』という二冊の詩集が生れ落ちた。
 スカイラインを車で疾走する河津聖恵の言葉はまことに軽やかである。中上の娘の中上紀の小説よりも軽い。しかも饒舌だ。もし中上の『紀州』が『西遊記』の経典めいた漢文であるとすれば、『ドラゴンボール』の軽さだろう。中上が禁忌を前に思わず口ごもり、語りの均衡が崩れるところを、逡巡もせず通過してしまう。なぜかくも軽やかなのか。なぜかくも饒舌なのか。それは事後性という観念に残酷にも操作されているからだ。語れども語れども原初の物語に到達できないという思い。だからもしここで太刀の見切りを誤らないために、河津聖恵は幾重にも方法を練り上げなければならない。
「危ういカーブを曲がるたび目覚める私たちの「うつほ」の未熟は鮮やか」
 これは確かに危ういカーブのような一行だ。「私たち」って誰なんだい。河津だってデリダくらい読んでいるだろうから、一人称複数を不用意に口にすることの危険は十分承知のはずだ。ましてこれは散文ではなく、詩的言語である。とはいえこの言葉に続いて「「うつほ」の未熟」が現われ、それが「鮮やか」と呼ばれてしまうとき、たちまち「私たち」の位置が曖昧になってしまい、はたしてそれが視座であるのかどうかさえ?めなくなる。文字通りトリッキーな一行だが、問題は「うつほ」だ。河津聖恵は入沢康夫と違って、中上健次の『宇津保物語』論を参照せよなどといった、長々しい註釈などつけなかった。ただ「うつほ」を空虚のまま、根拠のないままに放り出す。ここに書かれようとしていることのすべてが「うつほ」なのだと、彼女はいいたいのか。『龍神』は「私たち」の時代のビリディアナによって執筆された、事後性をめぐる証言である。