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河津聖恵のブログ 「詩空間」

この世界が輝きわたる詩のプリズムを探しつづける。

若き詩人たちとの対話

一昨日、京都朝鮮中高級学校を、新聞取材に同行し訪問しました。Image887
これで昨年末から四回目の訪問となります。

朝鮮学校無償化除外反対アンソロジー』に参加してくれた
安�a葉さん、鄭勇成さん、趙健秀さんとお話しすることができました。

それぞれ「私たちにあるもの」、「サムル」、「愛するもの」という作品を寄せてくれた詩人たちです。三人とも吹奏楽部で、幼い頃からの仲良し。

「私たちにあるもの」と「サムル」はこのブログでも紹介しました。三作とも私や多くの人々の胸を深く打った作品です。

詳しい内容は近いうちに新聞に掲載されますが、三人の話は、これまでの十七、八年の人生においてみつめてきた経験の中から、自分自身の思考と感性の「素手」でつかんできたものです。まさにマイケル・サンデルのいう「物語」を、かれらは生きていると思いました。

サンデルのいう「物語」を生きている、というのはここでは次のようなことを意味します。

かれらはたしかに、日本と朝鮮のはざまにある在日朝鮮人社会という共同体の中での「位置ある自己」を感じている。そして、その自分をめぐって、不安と使命感を伴いつつ「道徳的」に思いめぐらせている。かれらは「私の物語は他人の物語とかかわりがあるという認識」を、かれらは大人以上にしっかり持っています。私は心の底から感動しました。

『アンソロジー』に参加し、詩を書くことで自分が感じ考えていることを再確認できた、という鄭くん。日頃から、つよい思いをのべたいときには、詩作をするとのことです。しかし今回のようなテーマは初めて。締め切りまで二週間もなく、「自分の経験から書くしかなかった」。そして過去から今までの自分の姿が思い浮かんだ。「小学校からサムル(民族楽器)の部活で民族楽器に触れたことが、今の自分があることをあらためて感じた。民族楽器にふれたすばらしい経験があるから、自分は今生きているんだ」と。

趙くんの今回の作品への思いも同様です。「一世二世の作りあげたものを自分の代でこわしてはいけない、発展させなくてはならないと思うんです」、「自分たちの存在を分かってほしいのです」、「「戦い続ける」という言葉を使ったけれど、それは他者と戦うのではなく、自分の困難と戦うという意味です」。

安さんは「どうせ書くならば、伝わるような内容にしたかった。深く考えず、ざっと書いたらこうなりました。とにかく私たちを理解してもらいたいです。自分たちにも未来があります、そして朝鮮人でも一生懸命生きています、と素直に表現したかったのです」

その他、街頭での署名活動の経験についてや、今の排外主義への思い、日本語で詩作した経験についての話も、とても興味深い内容でした。 とりわけ日本語との関係では、今回の『アンソロジー』の参加詩人よりもはるかに若いかれらのうち、鄭くんは、日本語の方が表現しやすいとのこと。ハングルでは詩にとって大切な感情を表現する語彙がまだ自分には足りないとも感じています。しかし一方で、安さんは朝鮮語の方が書きやすく、日本語で書くと硬くなり、朝鮮語だと柔らかく書けるそうです。

短い時間でしたが、心が沈んだとき、あるいは思いがつよくなったときは詩を書く、という若き詩人たちとの交流は、私にとって、詩や詩人とは何か、に関わるとても大きな経験となりました。

クラブ活動も見学しました。鄭くんが中心となって演奏してくれた創作のサムルノリは、魂を打つ音がダイレクトにこちらの魂を叩くような、本当にすばらしい演奏でした。これが人間の心から心に届くということなのだ、と実感しました。そして「うつ」「うったえる」、つまりは「うたう」ことなのだ、と。

しかし昨日、朝鮮学校をめぐってはまた、教育内容に政治介入する大臣の発言が報道されました。自分の思考と言葉から語れない大人たちに、失望しました。今の政治家は、サンデルのいう「物語」を生きた経験を持っているでしょうか。あるいはその「物語」を忘れているのではないでしょうか。

大臣たちにはけっして本末転倒な論議はしないでほしい。朝鮮学校に来て、生徒たちから話をきき、その思いにじかに触れてから、自分自身たちの言葉で語ってほしい。そして私たちと、この国の未来についてじかに対話してほしいのです。