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河津聖恵のブログ 「詩空間」

この世界が輝きわたる詩のプリズムを探しつづける。

詩にとって熊野とはなにか(一)

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私は2009年3月に『新鹿』という詩集を出しました。これは私の8冊目の詩集ですが、それまでの7冊は、とりわけ詩の舞台としてどこかの土地を特に具体的に設定することはありませんでした。ただH氏賞を頂いた詩『アリア、この夜の裸体のために』の、表題作「アリア、この夜の裸体のために」は、新幹線で京都から東京に向かうという内容の詩ですし、ドイツのバスに乗っていたり、駅で座っていたりという詩もあります。けれどそれらはいずれも、まだ乗り物に運ばれたりしてどこかに行く途中という状況設定でした。そこではどちらかといえば、自分の内面が中心で、意味やイメージは自分本位に使われがちで、分かりがたい点も少なくなかったかと思います。
しかしこの『新鹿』はそうした今までの詩の書き方とは、大きく異なっています。私は具体的な熊野という一つの土地に降りたち、見聞きする熊野の自然や人々の魅力におのずと言葉を引き出されることで、詩を書きました。それは出会う一つ一つの事物や人間に対する、詩人としてのいわば生体反応であったと同時に、熊野という途方もなく大きな何か、具体的な土地を越え、土地のすべての事物と人間を、外側からあるいは内側から包み込んでいるオーラに、すっかり五感を奪われました。その過程で内面が失われたというか、まるで子供の頃へと感性が洗われ、むきだしにされたようでした。ここではそのように世界が、光と影が初々しく豊穣だったのです。
「熊野」はパワースポットとも言われますが、例えばその艶やかで鮮やかな自然は、過去と未来を逆転させる鏡だと言いたい気がします。熊野を代表する作家の中上健次さんは、「熊野はことごとく問いを抱いた者の鏡に映った似姿だった。死者を求めてくれば死者に会い、喜悦を求めてくれば喜悦を見つけるが、それは実体ではない」(「もうひとつの国」)と書いていますが、私もときどき熊野で、自分が知らなかった深い思いを、光や影や色や揺らめきやふるえや音声などの感覚的な次元で、外部から実体化されている、と感じる不思議な感じがありました。
例えば、発心門辺りの熊野古道の真昼の土の道に、木漏れ日がまさに水のように落ちているのを目にしつつ、春の濃厚な空気を、鳥の声がやはり水のようにふるわせるのを聴いていた時、その時空はたしかに私自身の中にある何かを、深いところから呼び覚ましました。その目覚めた私の「何か」は、今度は時空から何かを引き出す、といったような、私と世界の間における感覚のやりとりのようなもの、幸福な「交感」を感じました。その体験は後日も私の胸をざわめかせつづけました。しかし詩にしようと思っても、いわば抽象化した詩にはなりませんでした。ほとんど時の経過のまま、見たまま聴いたままに従い、書くしかないのでした。それだけ私の内部にある言葉よりも、熊野という外部がゆたかで力強かったわけです。だからといってもちろん、紀行文に甘んじるわけにもいきませんでした。熊野が私に与えた、風景を越えたくるおしい世界の「痛点」のような、虚空にある意味にならない意味に向かい、せいいっぱい意識をひらくことで無意識から言葉を気泡のように立ち上らせていった──それが私にとって、思いがけない詩的達成をもたらすことがたしかにありました。比喩として、言葉の自由度として、思想と感覚の鮮度として。