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河津聖恵のブログ 「詩空間」

この世界が輝きわたる詩のプリズムを探しつづける。

私とは一個の他者である

 いま僕は放蕩無頼の限りをつくしています。なぜなのか? 僕は詩人になりたいし、そして自ら見者たらんと努めているのです。あなたにはさっぱりおわかりにならないでしょうし、僕だってほとんどあなたに説明できないのです。問題は、すべての感覚の乱調によって未知なるものに到達することです。並大抵の苦しみではありませんが、強くあらねば、生まれつきの詩人でなければならないのです、そして僕は自分が詩人であると認めたのです。僕の落ち度などではまったくありません。われ思う、などというのは誤りです。人は私をして考える、と言うべきでしょう。──言葉の遊びを許してください。
「私」は一個の他者です。木ぎれがヴァイオリンだと思い込んでも仕方がありませんし、自分がまったく知りもしないことについて屁理屈をこねる無自覚な連中など何だというのですか!・・・(注:原文では「見者」と「すべての感覚」に傍点)

私とは一個の他者である。
これはランボーのいわゆる生のテーゼだと思います。
上の引用は1871年5月13日に書かれた教師への手紙の一節(鈴木創士訳)。
あと同15日に書かれた詩友に宛てた手紙でも出てくる言葉です。

これはどういう魂の状況から生まれた言葉でしょうか。

3月18日にパリ・コミューンが成立し
4月中旬から5月初旬にかけて
ランボーは四度目の家出をし、パリを放浪します。

その直後にこれらの手紙は書かれました。

パリ・コミューンというのは
ランボーに果てしない詩的触発を与えたようです。

ランボーという鋭敏な詩人はきっと
「コミューン」という言葉自体にも果てしなく魅惑されたのだ
と私は勝手に想像しています。

じつは私も
中上健次の『紀州』に出てくる「皆ノ川コンミューン」
という言葉に触発され、
「コンミューン、コンミューン」という豚の鳴き声を詩に記したことがあります。

コミューン、あるいはコンミューン。
フランス語のニュアンスは分かりませんが、
日本語のカタカナにしても
何か彼方や未来がみえてくる響きがある。
人々が一斉に新しい時代に向かって鳴いている声がきこえるよう。

「コン」は「魂、今、間(カン)」、「ミューン」は「民、未、美、愛」に通じるのでしょうか。

いずれにしても伝記によれば
ランボーもまたこのコミューンの成立に狂喜したようです。

ついに革命が成立した!
追放されていた者が権力を握った!

そしてへき地?シャルルヴィルからパリまで
240キロを恐らく殆ど歩いて辿り着きました。

うーん、17才のエネルギーってすごいですね。
何よりも詩にとりつかれた天才詩人ですから。

そうして、危ういまでに白熱したコミューンのなりゆきを見守りつつ
この「見者の手紙」を戻ってきた故郷で書いたのです。

自分とは一個の他者である。
たかが木ぎれである。
しかしヴァイオリンという自己幻想から覚醒し
木ぎれとしての自分を
外界の変動のリズムに共鳴させるにまかすこと。
すべての感覚を乱調させること。
そして木ぎれとして目覚めること、見者となって
未知の音楽=詩を奏でること
という新しい詩のありかたを
ランボーはここでいいたいのではないでしょうか。