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河津聖恵のブログ 「詩空間」

この世界が輝きわたる詩のプリズムを探しつづける。

ステレオタイプ

朝鮮学校「無償化」問題も山場を迎えています。
11日には審議入りするもようです。
皆様にもこのブログなどをご参考にして頂き、今回の「無償化」除外の動きが、この社会にいかに修復できない深刻な亀裂をもたらしかねないかを、知っていただきたく思います。

ところで私たちが7日に出した緊急アピールは、短い間ながら紆余曲折を経たものです。
とりわけ問題とされたのは、第四段落二行目の箇所。
草案の方はこうです。
「・・・そして詩の営みが個性的で美しく豊かであるためには、まざまな価値観や歴史観を背負った人々がお互いの存在を認め共に生きる、真に成熟した共生社会を必要とします。」

それに対し決定稿は以下のようです。
「・・・そして詩の営みが豊饒な稔りを結ぶためには、さまざまな価値観や歴史観を背負った人々がお互いの存在を認め共に生きる、真に成熟した共生社会を必要とします。」

つまり「個性的で美しく豊かであるためには」が「豊饒な稔りを結ぶためには」と変わったわけです。
連日徹夜で、両稿を作成・改稿してくれた寺岡さんのご苦労がしのばれるところですが、これは、7日の討議の中で「個性的で美しく豊か」という詩に対する形容句がいかにもステレオタイプであり、受け入れがたいという声が上がったからです。もちろん寺岡さんもそれを承知でこの表現を選んだはずです。私もまた、アピールを読む相手を想像すれば、詩についての微妙な言い回しをあれこれ工夫することは、ほとんど意味がないと思いますし、今書き写していてむしろ修正前の方が良かったのでは、とさえ感じます。こちらだと「美しい国」への皮肉と響くこともありうるし、ステレオタイプな人物の目や耳は、ステレオタイプの次元からの意味やイメージしか受信しないから。そしてとりわけ今回のような場合、ステレオタイプという限界の中で言葉の可能性をいかに見出すかが、詩人たちに試されているのだと思います。