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河津聖恵のブログ 「詩空間」

この世界が輝きわたる詩のプリズムを探しつづける。

「ハッキョへの坂」書評 サラムとはサラン

5月27日付朝鮮新報に、「ハッキョへの坂」の書評が掲載されました。

さいごに口を閉じる「サラム」(人)と、口を閉じないままの「サラン」(愛)。発音の違いはありますが、私は「なぜ朝鮮語で、「愛」と「人」はこんなに似ているのだろうか」とずっと思っていたのでした。そうか、愛とは人なのです。なんて深く熱い認識でしょうか。李さん、ありがとうございました。

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〈本の紹介〉 「ハッキョへの坂」 河津聖恵詩集
  サラムとはサラン       

                             李芳世(詩人) 

サラム(人)とはサラン(愛)。あかね色の表紙を閉じながらふと呟いた。一篇々の詩が、一つひとつの言葉がすっくと立ち上がり迫ってきた。

詩の芥川賞と呼ばれているH氏賞をはじめ数々の賞に輝き、雑誌の巻頭詩を飾る最も注目されている詩人の素顔は意外なほど質素であった。偉ぶらず、見下さず、生まれたままの赤子のような純粋無垢で、なにものにもこだわらず、恐れず、決して譲らない毅然とした姿はただまばゆいばかりだ。

河津さんはまっすぐな人だ。「朝鮮学校無償化除外」は言葉による暴力と民族差別であると受け止め、広く人々に訴える行動を起こした。昨年4月にリーフレットを出し、7月には朝・日詩人79人によるアンソロジーが刊行された。800部はすぐに売り切れ、増刷した1千部も完売した。

アンソロジーの本は在日文学史に残る貴重な一冊になるだろう。

今日ますます右傾化していくこの国で出版の意義は大きい。

表題にもなっている詩「ハッキョへの坂」は、��まっすぐかかりやまない重力�≠ナずしんと心に響いた。朝鮮学校に通う生徒たちを見つめる眼は限りなく優しく、温かく、美しい、それはただ眺め詠うだけではなく、奥へ奥へと分け入り一体化し、詩人自ら一緒に登っている。時代の隠喩である坂は険しく果てしない。だけど子どもたちは��輝くことそのものにあるよろこび�≠ノ満ちあふれ、��花ふぶきのように笑い�″竄�登っていく。その先に何があるのかをしっかりと見据えながら…。

河津さんの詩は常に自分と深く鋭く対峙し、幾度か葛藤を繰り返しながら魂の領域に到達したとき、言葉に生命を宿し真実に向かって激しく抗う。そして人間を信じて人間の言葉を発する。詩の元始である「叫び」がこだまする。

時には切ないほどの悲しみに浸り、「美しい女が散逸していく」。また、1人の友に惜しまぬ声援を送る「ムグンファ」。歴史の川を渡る少年に母親のような愛情を注ぐ「サラム」。

詩「友だち」を読みながら��私は呼ばれていたのか/それとも私が呼んだのか�≠ニいう箇所にはハっとした。朝鮮を代表する詩人・李相和の詩「奪われた野にも春は来るのか」の一節によく似ていたからだ。��遥かな遺伝子が/今もそこへはらはらと流れている�¥リなのかもしれない。

詩友・許玉汝と共に文科省を訪れ要請活動を皮切りに各地の朝鮮学校や集会所で開いた朗読会は数えきれない。今も同胞たちを励まし支援する日本の人たちに勇気を与え続けている。

すばらしい人間に出会うより、人間のすばらしさに出会えたことに感謝している。

詩集を手にするたびに聞こえてくる。��サラムと非サラムとの/希望と絶望との…「これはたたかいである」という声が。

                     (土曜美術社出版販売 TEL 03・5229・0730)