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河津聖恵のブログ 「詩空間」

この世界が輝きわたる詩のプリズムを探しつづける。

故郷/異郷の缶詰

故郷としてのハッキョ。Uchu
そう私に語ってくれたのは、在日二世の方でした。

生まれた場所は、母がいなくなった父を追う旅の途中。
それから日本のいくつもの場所を点々としたけれど、
どこも自分にとって故郷といえる場所はなかった。
けれどハッキョに通い始めて、初めて
大人たちに守られ、同じ仲間たちの中で落ち着いて
学び育つことが出来た。
そんなハッキョが故郷になった。
朝鮮語と朝鮮の文化を思う存分学べたし
仲間たちといるのはなんと嬉しかったことでしょう!

朝鮮学校出身者にとって
学校が故郷であるという真実を
私たちはもっと知らなくてはならないでしょう。
この社会のどこかで
いつも彼らは私たちに語りかけようとしているのだから。
語りかけようとした彼や彼女を
私たちは振り切ってきたのではないでしょうか?
しかしまるで群衆のようにかれらを黙殺してきたマジョリティもまた
一人一人はただマイノリティにすぎないのではないでしょうか?
老人にもなる。病気にもなる。貧者にもなる。
だからもっと耳を傾けなくてはならないのではないでしょうか?
なぜハッキョが故郷なのか。
自分が彼や彼女だったらどうだったか。
マジョリティという幻想に甘んじなおざりにしてきた
マイノリティの痛覚(誰しも一人一人はただマイノリティなのです)
を精一杯研ぎ澄まし
彼らの生きざまと魂の歴史を身の内から想像してみるならば
ハッキョが故郷であるという事実は
おのづから痛感できるはずです。

日本をどこでも大手をふって歩ける
日本人にとっては眩暈のするような、真実。
「ハッキョが故郷であること」
逆にいえば、学校の外に一歩踏み出れば異郷と変じうるということ。
日本という国家が周囲に自分を護るものとして?広がる日本人とは
真逆の空間感覚ではないでしょうか。

かつて赤瀬川源平のオブジェにあったじゃないですか。
「宇宙の缶詰」
作り方は簡単です。
缶詰の内側から「宇宙」と書いたラベルを貼ればできあがり。
今それにならってみましょう。
朝鮮学校の生徒は
まず外側からハッキョに「故郷」というラベルを貼るでしょう。
しかしハッキョの内側からは
生徒達が貼るまえにすでに誰かの手によって「異郷」というラベルが貼られてあるでしょう。
彼らより以前に生きた朝鮮人からの警告でしょうか。
それとも日本人が巧みに忍び込んで貼ったのでしょうか。
もしかしたらそうかもしれません。
今いっそう残酷になった私たちは、まさに小さなハッキョの外側からさえも
「異郷」とレッテルを貼りつけようとしているではありませんか。
マジョリティがマイノリティの大切な場所に
外側から排除のレッテルを貼ろうとしているではありませんか。あまりに卑劣です。

朝鮮学校の生徒たちは今
ハッキョの内側からはますます「異郷」の相貌を険しくする日本の
宇宙のような無限の外圧に耐えています。
いつかはエイリアンのような日本人たちが
神聖な校門を汚い手で揺さぶりさえしました。
かれらはハッキョ自体を見ようともせず
外側から「出て行け」などと暴力そのものである日本語を貼って
子供たちの心を追いつめました。極悪非道です。

「六畳部屋は他人の国」と
六十八年前東京に留学した尹東柱は書きました。
雨の夜の暗い部屋で。
「窓辺に夜の雨がささやいているが」とつづけています。
部屋の中にきこえる雨の音がそうささやいていた、というのです。
不思議な怖さのある詩です。
雨は母国語で語りかけたのでしょうか。
それとももしかしたら
日本語が悪魔のささやきで彼を追いつめたのでしょうか。