朝日新聞夕刊のコラム「窓」に、「朝鮮学校無償化除外反対」のリーフレットに書いた詩を取りあげていただきました。詩人としてのやむにやまれぬ気持から始めた、私たちなりの「反対運動」ですが、社会面のコラムに取りあげて頂いたことで、何か一つ重荷が降りたような気持がしています。
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この朝も/あなたはハッキョへの坂をあゆんでいく/雨あがりなのか/靴はちょっと汚れた か/靴はまだ履いて間もないだろうか/桜舞う頃か
京都の詩人、河津聖恵さんがこの春つづった「ハッキョへの坂」の一節だ。ハッキョは朝鮮学校のこと。急坂の上に立つ学校で、出あった在日朝鮮人の女子学生の、りんとした姿にうたれたという。
高校無償化を巡り「反日教育を行っている」「暴力団の関係企業と同じ」といった政治家の発言が相次いでいたころだ。あおられるように、ネットにも、拉致と学校を結びつけた中傷があふれた。
人を傷つけるのをためらわぬ物言いが横行し、日本語が形作る魂が壊れていく様に河津さんは黙っていられなかった。関西の詩人が集まってアピールを出し、文部科学省を訪ねもした。「詩人は社会カナリアである」と言う仲間もいた。
いったん見送られた朝鮮高校の無償化をどうするか。5月末には文部科学省の専門家会議が始まった。圧力を避けるためにと、議論は非公開で、委員名も伏せられたまま。今度は「沈黙」の中で大事なことが決められつつあるのが心配だ。
価値観の隔たりを「反日」と短く切って捨てる。大切な部分が欠けた合意を「決着」と言いくるめる。言葉の劣化は、なにも朝鮮学校の問題に限らない。
ブックカバーは替わったが、現実に向き合い、吟味と校正を重ねた言葉遣いで政治の中身は語られているだろうか。詩人は耳を澄ませる(石橋英昭)。