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河津聖恵のブログ 「詩空間」

この世界が輝きわたる詩のプリズムを探しつづける。

思想運動」879号(2011年10月15日付)に『ハッキョへの坂』の書評が掲載されました

「思想運動」879号(2011年10月15日付)に、『ハッキョへの坂』の書評を掲載されましたので、転載させていただきます。同詩集の思いと方向性を、大変的確に掬い取ってもらいました。

『河津聖恵詩集 ハッキョへの坂』
深淵を越える「私」の共感
                                            山口直孝

 書名に選ばれ、巻頭にも置かれた『ハッキョへの坂』は、京都朝鮮中高級学校に通う生徒を詠んだもの。春先、桜の花びらが舞う中を、「あなた」が晴れやかにハッキョ(学校)を目指す。兄弟たちも学んだ場所で、「あなた」は、気を引き締めてウリマル(朝鮮語)を学ぶ。その「あなた」のことを、「透明な日本語」を話すもう一人の「あなた」が考える。もう一人の「あなた」は、まだ「あなた」との対面を果たせていない。もう一人の「あなた」とは、途中に出てくる「私」のことでもあるようだ。
  河津聖恵の第10詩集『ハッキョへの坂』は、「他者へ捧げること」(「あとがき」)を主意とする。明晰な方法意識によって、詩集ごとに新しい境地を拓いてきた河津は、新作において、人との出会いを柱に据えた。�Tには、2010年3月、朝鮮高級学校が高校無償化の対象から外された衝撃を契機に綴られた作品が収められている。『プロメテウス─尹東柱に』を契機に始まった在日朝鮮人との交流を踏まえ、河津は、疎外された者の痛みと怒りとを共感的に写し取る。社会的なできごとを題材としている点で、それらは事件詩と呼んでもよいかもしれない。けれども、本詩集には声高な政治的主張は聞かれず、むしろしばしば沈鬱な気配が漂う。それは、詩人であるがゆえに、言葉による相互理解を楽観視できず、「二人をへだてる深淵」(『シモーヌの手』)をつねに自覚するためである。困難を知りつつ、しかし、河津は、他者への接近を諦めない。熱意と知性によって、「あなた自身にも見えない/それが私に、見えた、見える、見えている」(『その輝きを見つめるために─ある出会いの日に』)時が訪れる。それは「よろこびが悲しみをわずかに越え」(『私たちの生があなたのドアを叩く─倉田昌紀さんに』る体験である。「あなた」と「私」とが「私たち」となりうる瞬間の描き出しには、あふれる喜びが伴っている。
 連帯の出発点に立った河津は、次の詩集でいかなる飛躍を遂げるのだろうか。「あなた」の言葉のゆくえを追い続ける。」