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河津聖恵のブログ 「詩空間」

この世界が輝きわたる詩のプリズムを探しつづける。

劇団タルオルム「金銀花永夜(クムンファヨンヤ)」(三)

パンフレットにある
作・演出の金哲義さんの文章はとてもいいです。
一部を引用します。

「初めてタルオルムの公演を任されて、長く短い間一緒に作って、互いの感覚のあまりの違いに驚かされる。
ミンスに至っては足の爪先から髪の毛の先まで違う。その感覚の違いはまるで「天敵」と言っても過言ではないほどだ。
じゃりん子チエのレイモンド飛田の言葉を借りると
「ワシの前世がプレスリーやった頃、あいつはドーナツやったんや!」てな感じ。
だから共に作っていて楽しい。
昆虫の集団のように「個」のない社会みたいにレッテル貼られて日夜メディアなどで睨まれている僕たちだけど、一緒に作っている人間同士ですら違いすぎるほどにバラエティーに富んでいるのだ。
背負い方が違うから闘い方が違う。闘い方が違うから生き方も違う。
そんな違う者が一つの場所に集う。違う時代、違う国籍、色んな者達が一つの場所に集って作品という一つの「血」を持って同じ「世界」を創り上げる。」
 
「背負い方が違うから闘い方が違う。闘い方が違うから生き方も違う」
とはなるほどなあと思いました。
今の現状から与えられた苦悩は同じ。
しかしその人によって背負い方が違う。
それは苦悩との闘い方の違いとなり、
その結果目に見える生き方は当然違ってくる。

文章の最後はこうしめくくられます。
「今を目一杯笑え。僕達はそこから始まる。」

この演劇の台詞にも
「明日を乗り越えます!」という先生の言葉があったように思います。
ここで金さんがいう「今」「そこから」には
恐らくひりひりした時間意識があるはずです。
今、きっと在日の若い世代には、
時間のかたい物質感覚のようなものがあるのではないでしょうか。
「今を目一杯笑え」とは、
次々襲ってくるその感覚を
魂の強さで破砕しろ、ということなのでしょう。

ふたたび先日のアルフォンソ・リンギスです。

「悲しみや苦悩のただなかにおいてこそ、ひとを苦しめ、ひとを悲しませるものの重要性や真実を肯定する力が急激に高まる。力自体を無制限に肯定する力のこの急激な高まりは、喜びである。」(『汝の敵を愛せ』)

この苦しみや悲しみを「肯定する力のこの急激な高まり」こそが
爆発的な笑いとなるでしょう。

本当に泣く人が本当に笑うのです。