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河津聖恵のブログ 「詩空間」

この世界が輝きわたる詩のプリズムを探しつづける。

『太陽の男たち』の上映会&徐京植さん講演会1

昨日京都大学Image1032
ガッサーン・カナファーニー原作の映画『太陽の男たち』の上映会&
徐京植さんの講演会が行われ、私も行ってきました。

私にとってとても濃厚な時間でした。
一方は映像という言語で
他方は声と誠実に組み合った言葉で
私の魂の深層をたしかに動かしてくれたのでした。

『太陽の男たち』は
1972年にエジプトの監督タウフィーク・サーレフ監督によって撮られた映画。
画像が荒く
砂漠が真っ白にハレーションを起こしていましたが
それもむしろ緊迫した内容にふさわしいと思えました。

1950年代末のパレスチナからの脱出劇を描いたこの映画が
ハレーションによってはねちらかしているのは
ただ絶望です。
酷薄な白い無のごとき画面の砂漠は
どこにも出口が存在しないパレスチナ
今につづく極限状況の永遠性を象徴しているのです。

1950年代末。
それは
1947年に国連パレスチナ分割案が決議されてから
10年がたった頃。
人々の希望が白く、さらに白く
死のようなハレーションを起こし始めた頃。

決議直後の1948年に大虐殺「ナクバ」が始まる。
ユダヤ人がユダヤ国家を建設するために
パレスチナ住民を虐殺し、辱め、強制追放する。

映画に登場する男たちも
この民族浄化によって80万人の同胞とともに追放され
10年を異郷のキャンプで生き延びてきた。

かれらは
摂氏五十度を超える灼熱の砂漠をひた走るトラックの
金属製の給水タンクの中に隠れて
イラクからクウェイトへ国境を越えようとする。

しかし国境を越える寸前で計算違いの出来事が起こり
かれらは熱死します。
あんなにタンクを叩きつづけて救いをもとめたのに。
まるでパレスチナそのもののように、誰も助けませんでした。
そしてまるでパレスチナそのもののように
かれらはゴミ山に捨てられました。
あのガザのように
誰もかれらの悲惨な死を知らないまま。

映画を見終わったあとのこちらの胸には
白い無だけが暗澹と残されました。
緻密で靜かな映画でしたが、それだけに
そのすべては
今もつづくパレスチナの悲劇を感受させました。
白い絶望がじわじわと魂の皮膚に浸透してくるのでした。

そして1947年という年に誰もが気付くはずです。
パレスチナの悲劇の歴史は
在日朝鮮人の苦難の歴史と
不思議にそして必然的に符合しているのでした。