2009年から2011年にかけての約一年半の間、
雑誌「現代詩手帖」に毎月連載した、
新藤凉子さんと三角みづ紀さんとの連詩
「悪母(ぐぼ)島の魔術師」が詩集になりました。
岩佐なをさんの挿画が内容に即して各所に挟み込まれ、
とても素敵な仕上がりになっています。
ある会で出会った新藤さんと
ふいに連詩をやらないかという話になり、
そこに若い三角さんも加わり、
異なった世代がそれぞれの詩の時間の先端をとぎすませて
編み合いました。
非現実的な空間でのことばの「運動」と「物語」が多様に展開しています。
三人三様、
書法も詩観も恐らくかなり違うと思いますが、
それだけに毎回どんな言葉たちが手渡されるか予想もつかず
わくわく待った、大変楽しい体験でした。
なぜ「魔術師」だったのか。
タイトルは最初決まっておらず
第三章辺りで新藤さんが直観で付けてくれました。
マジシャンでも魔法使いでも道化師でもある
とびはねる透明なその妖精的存在は
詩の中につねに出現するとはかぎりませんでしたが、
その存在を中心的に意識することで
詩の空間はとてもゆたかで、愛の溢れるものになったと思います。
また書く過程において互いが女性であることは
余り意識しませんでしたが、
魔術師という少年の遇し方には
やはりセクシュアルなもの?があったのではないでしょうか。
第一章で三角さんが出した「しんでいるお母さん」が
第二章の新藤さんの「ママン」=カミュの「異邦人」を惹起し、
その連想から、私の第三章で「原初の子ども」が生まれ―。
ちょうど日食の頃に書いたと記憶する同章を
以下引用します。
悪母島
ここをそう名づけた原初の子どものように
男は海の彼方をみつめている
昼から夕方へときゅうに暗くなる空の下
燃え始める水平線のだいだい色は
見ひらかれた目の中で
かなしく紅色へ深まっていく
46年ぶりの皆既日食が始まる
あれから46年ぶりなのだ
あれからって、もうあれからとしか言えないくらい
頭のてっぺんから爪先まで
幾度も細胞はきれいに入れ替わっているし
顔も名まえも
世界の裏からふたたび血が滲みだす寸前に
包帯のように代えてきたから
なにしろ途方もなく時効なのだ
もうぼくを誰も捕らえてくれないんだよママン
水星と金星も出てきた
ダイヤモンドリングがはじまる
手はさびしそうに血まみれになっていく
この一集にある
詩と詩の
そして絵と詩のアクロバットなハーモニー。
私たちの魔術師が
読者の一人一人にひそむ魔術師と
素敵な出会いをしていってほしいと願います。
思潮社刊、定価2,000円+税です。