「どうだ、来てみないか?
もちろん 標識ってなものはありゃしない。
たぐってくるのが 条件だ。」(金時鐘『猪飼野詩集』「見えない町」より)
という魅惑的な詩行に挑発されたかのように
丁章さんという最良のナビゲーターを得て
昨日「猪飼野(いかいの)」をたぐってきました。
猪飼野をたぐる?
それは猪飼野が、今は正式な地名としては存在しないから。
わずかに橋の名前などに残っているだけ。
大阪市東成区・生野区にまたがる、鶴橋から桃谷にかけてのJR大阪環状線東側と平野川に挟まる地域とその周辺の地域の総称であり
住居表示制度施行前の地名です。
11時半にJR鶴橋駅改札前に集合した7名(東柱を生きる会のメンバー)で、まず鶴橋卸売 市場(戦後の闇市が発展したもの)をそぞろあるき。国際マーケット(鶴橋駅ガード下の朝鮮市場)を見て、鶴橋本通り商店街を通って御幸通商店街(コリアタウン)へ。御幸森天神宮から班家食工房(ミニ朝鮮民族博物館)をたぐり、御幸森小学校(日本の公立校の中で在日コリアンの生徒数の割合が最も多い小学校)から朝鮮初級学校へ。それから耕整橋(猪飼野詩集「イカイノ トケビ」には「こうせい橋」として出てくる)をへて御幸橋(「イカイノ トケビ」に出てくる交番所址へ。さらに観音寺(韓国寺。在日にとっての済州4・3の慰霊の場でもある)をたぐって猪飼野新橋をわたり、近鉄今里駅へ。途中、鶴橋斎場 址(猪飼野詩集「見えない町」に出てくる火葬場址)、KCC会館(韓国キリスト教会館。大阪の在日集会所としての拠点の一つ)がありました。そこから今里新地(新在日コリアン(ニューカマー)の街)の不思議な雰囲気にひたりつつ、近鉄今里駅からタクシーに分乗し河内小阪駅へ向かいました。途中の「永和駅」は、金時鐘さんと奥さんが新婚時に初めて新居をかまえた町で、そう言われ何の変哲のない都会の風景もふと陰翳深くなるようでした。河内小阪駅から丁章さんの喫茶美術館へやっと到着。日頃運動不足で5時間の猪飼野の「たぐりよせ」にかなり疲れてましたが、全身にしみこむような美味しいコーヒーを飲みながら、元気を回復して皆でひととき語り合いました。
二次会を含め「東柱を生きる会」のあらたな展開も決まり、大変充実した一日でした。丁章さん、本当にありがとうございます。またひとつ私に新たな詩の故郷が生まれる予感がしています。失われたものたちをたぐりよせることで。