「環」52号(藤原書店)に、「明日(みょうにち)の詩 石川啄木」(「詩獣たち」第九回)を書い ています。
「近代的自我」や「自己」を超える啄木の強烈な「われ」について、詩に焦点を当てながら考察しました。絶対的な観念から出発しつつ、近代化へ抗い、やがて苦しむ他者へ向かった愛の魂の軌跡─。ご高覧いただければ嬉しいです。
「詩獣が駆け出した明治三十年代は、明治初中期に自由民権運動や浪漫主義がかき立てた理想や夢想が、政治の野合や資本主義の矛盾という現実の中で挫折し、やがて押しつぶされていく前夜であり、自由を求める者たちが最後の光芒を放った時代である。とりわけ与謝野晶子や国木田独歩や北村透谷に触発された啄木の「われ」は、万葉以来の「うたう主体」の本質を受け継ぎつつ、「近代的自我」や「自己」という定義に収まらず対象化できない強烈な一人称である。それは観念的な孤独の中で絶対化されながらも、やがては近代化の苛酷な現実に抗い、苦しむ他者へ向かっていく深い愛の魂でもあった。」