昨日(15日)付の京都新聞文化欄に、7日に行った「東柱を生きる会」が、大きく紹介されました。「詩人「尹東柱」の思いしのんで」と題する記事です。この会の趣旨と内容を、共感にもとづきしっかりまとめていただいています。
そこで私がブログでとりこぼした、金時鐘さんの大切なメッセージもちゃんと拾っていただいていました。
それは、東柱のいとこ宋夢奎(ソン・モンギュ)への言及です。
「東柱は詩を残したことで、今も存在の命脈をわけあうことができる。宋にはその痕跡がない。ことばにかかわるものとして、何を刻みうるか、いつも考える」
東柱と宋夢奎。
二人はまるで双子のように、宿命を共にします。
愛沢革さんの『尹東柱評伝』によれば、
夢奎は東柱と同い年。三か月早く同じ家で生まれました。
東柱とは対照的に行動的で、
中学校時代に中国に行き独立運動に身を投じ、
要監視人となった夢奎。
東柱と彼は同じ年に日本へ留学し
京都でごく近い場所に下宿します。
そして東柱は夢奎と一緒にいたために逮捕されます。
二人は同じ1945年に福岡刑務所で
わずかな日数をおいて相次いで亡くなります。
しかも、東柱が詩を書きはじめたのも、
夢奎の短篇が新聞に掲載されたことに刺激を受けてだったそうです。
双子のようになんと運命的な関係でしょうか。
ここで『評伝』に載っていた夢奎の詩を引用しておきます。
1941年、24歳の時に
「クム・ピョル」(夢の星)という筆名で書かれたものです。
素敵な名ですが、彼の母が夢で大きな星を見て彼を生んだことにちなんでいるらしいです。それにしても東柱とはまた違った作風の、なんと繊細で切実な詩でしょう。
空とともに
クム・ピョル
空──
入り乱れ わたしとともに悲しむ空の破片
それでもおまえから空のすべてがわかる わかる・・・・・・
蒼さが宿り
太陽が行きすぎ
雲が流れ
月が顔を出し
星が微笑んで
おまえとだけは おまえとだけは
すでに消えた話をよみがえらせたい
おお──空よ──
すべてのものが流れ流れていったのだ。
夢よりもうつろに流れていったのだ。
苦しい思念の種ばかり播いて
未練もなくしずかに しずかに・・・・・・
この胸には意欲の残滓だけ
苦々しい追憶の反芻だけが残り
その丘を
わたしはくりかえし詠う。
しかし
恋人がなく 孤独でなくとも
故郷を失くし 懐かしくはなくとも
今はただ──
空の中にわが心を浸したい
わが心を空にしまっておきたい。
微風のそよぐ朝を祈ろうと思う。
その朝に
おまえとともに歌うことをしずかに祈る