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河津聖恵のブログ 「詩空間」

この世界が輝きわたる詩のプリズムを探しつづける。

interview 詩集「ハッキョへの坂」(「月刊イオ」7月号)

「月刊イオ」7月号に掲載された「ハッキョへの坂」についてのインタビュー記事です。取材・編集して下さったのは、編集長の琴基徹さん。Image1450

interview 詩集「ハッキョへの坂」 作者・河津聖恵さんの詩への思い

 昨年2月に朝鮮学校の授業を見学した後、朝鮮高校は除外する方針だという新聞記事が出たんです。それを見て、ショックというか、これはひどいという気持ちがありました。自分自身が悲しく、とにかくこれを誰かに訴えたいという気持ちが先に立ち、書いたのが「ハッキョヘの坂」です。3月19日でした。生徒たちの印象とそれに対する日本社会の罵声、そのギャップに、ただただ、これはひどいという気持ちでした。
 この作品は、朝鮮学校を訪ねたときのことを思い出して書きました。時間を追うように書いています。私の作品はこういふうに時系列的に書くものが多いんです。

「春の光に梢が煌めく/うれしそうに鳥たちがやってくる/鳥たちを呼ぶのは/輝く木のよろこび/光の 輝くことそのものにあるよろこび/長い冬にたえてすべてが輝きだした」

 イメージなんですが、春の光がきらめいていて鳥の鳴き声がしていた。桜は咲いていませんでしたが、少女たちから桜が降ってくるというイメージが生まれたり・・・。
 最初は、断定形で書いていたんです。「靴も履いて間もないだろう」というふうに。しかし、それだと詩が途中で途切れて続かなくなってしまいました。どうしようかなと思って、じゃあ想像なので疑問形にしたら詩の情景が軽くなるかな、自由になるかなと思って、疑問形にしたら書き続けられました。こういつ手法は初めてでした。

「この朝も/あなたはハッキョヘの坂をあゆんでいく/雨あがりなのか/靴はちょっと汚れたか/靴はまだ履いて間もないだろうか/桜舞う頭か/きれいにといた髪に/なつくようにまつわる花びらを/後ろから見つけたトンムは/オンニのように笑って肩を叩き/つまんで見せてくれるだろうか」

 この作品を書いた後に、許玉汝さんら在日コリアンの詩人たちと出会います。「ハッキョヘの坂」の最後に、日本人の高校生としての「もうひとりのあなた」を登場させましたが、これは自分のことでもあるのではないかと思っています。

「麓からたちのぼるざわめき/静かな高台のハッキョで/歌のようなウリマルを話すあなたを知らないまま/黄砂でかすんだ地上のグラウンドで/もうひとりのあなたは/携帯電話を片手に佇んでいた/風に肩を叩かれて/ふと透明な日本語を喋りやめふりむけば/ひらひら舞いおりながら/こぼせない涙のようになかぞらをたゆたう不思議ないちまいの花びら/もうひとりのあなたは/思わずてのひらを差しだし/花びらを受け止めまだ見ぬあなたに出会おうと/爪先立ちになる」

 玉汝さんもそうですが、同時並行的に生きていて、お互いに知り合ってはいないけれども、何か自分と共通の魂をもっている人が、民族は違っていてもどこかにいる。それは人間としての希望です。純粋な魂を持っている。そういう人が朝鮮学校の卒業生には多いと思うんです。そういう人たちと出会う、これから出会う可能性があるというのは、日本人にとって希望なんだと思います。
 それまで日本社会に対して何か違うなという意識があったからこそ、詩を書いてきたわけです。詩でしかあげられない声があって、そういう下地があったから無償化の問題に触発されたんだなと思います。例えば沖縄の問題など、当事者の声を聞いたことがありませんでした。だから抽象的というか、関心がないわけではないけれど、身体で入っていけないところがありました。無償化問題は、生徒や先生の姿を実際に見て話を聞いたりしました。その声がすごく響いてきた。だからすごく自分の身体で入っていけました。
 詩は、日常の言葉では伝えきれない、散文的な言葉では言えない、そういう思いを伝えるための手段としてありました。散文やエッセイだと、書いている内容が先に立って、何が書いてあるのかなと、頭の中で読み手に整理させてしまう。しかし詩は、頭を整理する前に、余計な理性や先入観とかが働く前に、読み手の意識、無意識にダイレクトに浸透する力をもっているんじゃないでしょうか。詩の魅力は浸透力ですね。
 言葉には二つあって、自分だけが良ければいいというデマゴギー的な言葉は人と人を切り離していきます。もうひとつは普遍的な言葉。人と人をつなげたり、人に関心をもったり、人と出会おうとしたり、そういう言葉です。文学は普遍的な言葉を扱います。言葉を普遍的にするのが文学の役割なのだと思います。文学の使命はこれからますます大事になっていくでしょう。人がそれを読んだときに、こういう言葉もあるんだ、ネット上や学校では見たことがないような胸のすく言葉もあるんだと、一つの希望を見せ続けるという使命です。
 高校無償化の問題だけでなく、大阪の橋下知事が「君が代起立条例案」を通し、それに従わない教師を首にしようとしています。ますます自分の歌がうたえない時代になり、自分の主張をもっている人は、排除されていく風潮が強くなっています。文学が何かを直接変えるのはなかなか難しいですが、片隅から火をつけていきたい。 一人ひとりがもっと力を蓄え声を出し続けていかなければいけないと思っています。