4月16日付京都新聞新刊評「詩歌の本棚」
河津聖恵
吉本隆明氏が亡くなった。訃報の殆どが「評論家」として紹介したが、戦後出発した氏の原点はじつは、詩。『荒地詩集』にも参加した。次は一九六四年に書かれた詩論の中の有名な一節。「詩とはなにか。それは、現実の社会で口に出せば全世界を凍らせるかもしれないほんとのことを、かくという行為で口に出すことである。」「ほんとのこと」とは、いわば日常を揺るがす真実のこと。散文でそれを口にすれば世界は凍り、発言者は拒絶される。だが社会から「孤立」し、比喩や象徴という次元で書く詩人は、誰にも邪魔されず(それは多くは「理解されず」をも意味するのだが)「ほんとのこと」を口に出来る。生命の奥からあふれる「自己表出」(言葉以前にある叫びが生み出す表現)の力で、「ほんとのこと」を、言葉の中から輝かせることが出来る。
谷村ヨネ子『水』(洛西書院)は、言葉そのものの感触において「ほんとのこと」のありかを伝える詩集。そもそも詩において「ほんとのこと」を、言葉の外でいかに難解な語句を駆使し主張しても虚しい。この詩集では、日常によって抑圧された「自己表出」の力を、むしろ当の日常の風景や事物を感じ直すことでじっくり解放する。巧みな省略や沈黙によって、論理や物語を幻想の方へ静かに変容させていく。次の作品の「蝋」のイメージは、「ほんとのこと」を言葉の中から燃やそうとする、詩人自身の姿でもあるだろう。
「私は蝋/声を圧し/密度を拡散する//重く軽く/昇りながら/煌めきながら/本当は呻きながら//髪は不揃いに伸びてしまった/マニキュアも塗らず/火の爪//魔女なら/炎をパンに変えるだろうに」(「蝋」全文)
あるいは次のような神話的な光景も魅惑的だ。
「スウプは美しい夢/皿の海にさざなみ立てる揺籠/深いスプーンを右手に/耳は琥珀色目はつるばみ色の船頭が/こくりこくり居眠りながら/櫂を漕ぎながら/掬うまろやかな塩」(「スウプ」部分)
薬師川虹一『詩と写真 石佛と語る』(ギャラリー be京都)は、著者自身が撮影した石仏の写真と、各石仏の表情から触発され生まれた詩とのコラボ集の三作目。だがこれまでの二冊とは違う。東日本大震災は、「石仏を撮影することの意味を失わせるような出来事だった」。それは詩の無力さの通感でもあった。試行錯誤の果てに閃いたのは、「自分のなかに居る他者としての自分との会話」という手法。その会話の中から、言葉は石仏の無言に促されるように、言葉自身の虚しさから「ほんとのこと」のずっしりとした重みへ向かっていった。
「言葉は時に/流れ去るがいいのだ/聞きたい声は/消えたのかもしれない/途中で燃え尽きた/ハヤブサのように/言葉も文字も/何かの徴に/すぎないだろう/徴に生きるより/不透明な物に生きるほうが/確かな手応えがある/そう思わないか」(「声が聞きたいのか」部分)
山中従子『死体と共に』(澪標)もまた、死体という「自分の中の他者」を設定する。薬師川氏の詩集と共に、詩とはじつは、「言葉という他者」との永遠の対話だと気づかされた。
「私は私の死体と並んで/ブランコに座っている/空中に漂っている風が/私の首に巻きついてくる/それは/地球の静脈のようだ/まだ/生きている/地球/永遠に揺れつづける/ブランコ/こうして/ブランコに乗っていると/生からも/死からも/開放されて/あらゆる現象は/揺れるリズムの/別の形/なのだと」(「ブランコ」全文)