昨日は新宮で中上健次さんの実家を訪ねた夜のことを書きました。
その翌日は、大辺路(海沿いに紀伊半島南部を巡る道)を一気に駆け抜け、とても印象深い旅程だったのですが、また後日に。
日曜に熊野市立図書館での『新鹿』の朗読会があります。
それで新鹿を訪れた時のことをあらためて思い出しておきたいのです。
新鹿は「あたしか」と読みます。
三重県熊野市新鹿町。
熊野灘に面した町です。
この美しい地名の由来を以前人に調べてもらったところ、
1「荒坂」が転訛した。
2海岸一帯が白砂一面の沖積地帯で洲処(すが)の土地であることから渡洲処(わたすか)となった。
3忌部族の居地を意味した。
という説があると知りました。
「鹿」とは関係がないんですね。
しかし当て字とはいえ、「新鹿」とはとても詩的なネーミングで、
いつどんな人がどんな気持で当て字をしたのでしょうか。
まったく勝手なイメージですが、
「春の光に波がきらめく川をはさんで、ふと若い牡鹿に出会ったシーン」
などが似合う気がします。
もしかしたら名づけたのは女性?
女性的な優しさも感じますから。
私が詩集のタイトルを「新鹿」としたのも
優しく新鮮な響きとイメージに
詩を感じてのことでした。
もちろん新鹿での実際の体験が素晴らしかったというのもあります。
ここを訪れたのは2008年3月31日。
二回目の「熊野詣」の時です。
なぜそこへ行こうと思い立ったのかじつはあまり判然としません。
1980年
中上健次さんがアメリカから帰ってきて
半年間自給自足を試みようとしたところ。
そう知っていただけでした。
そしてまだ中上文学にも
『紀州─木の国・根の国物語』でその光と影の魅惑を知り始めたばかりでした。
しかし「半年間自給自足を試みた」という事実自体と
新鹿という名に
なぜか心を不思議にかきたてられ
倉田さんにはるばる新宮から案内していただいたのでした。
ちなみに中上さんの新鹿居住については
長女の中上紀さんが『夢の旅路』で当時の思い出を書かれています。
高澤秀次さんも『評伝中上健次』で考察しています。
(写真は新鹿の隣町の波田須の海。新鹿の開墾地で見たものとよく似ています。)