今週の月曜日(12月6日)
東京の北区十条にある東京朝鮮中高級学校を見学させてもらいました。
『朝鮮学校無償化反対アンソロジー』の詩人3名、読者7名、計10名で伺いました。
最初は私一人でも行きたいと思っていたのですが
誘いをかけるとあれよあれよと輪が拡がり、
私以外はほぼお互い知らない者同士が、十条駅で待ち合わせ。
しかしなんと当日朝埼京線に遅れが出て
呼びかけた私自身が10分も遅く着いてしまいました(汗)。
でもみんなちゃんと、約束の北口で
見知らぬ者同士、何となく互いを気にしつつ待っていてくれていて
すぐに分かりました。
点呼して、まるでツアーみたいに、出発。
学校は駅からとても近く、簡単に分かりました。
すごく近代的でりっぱです。
何より駅から近くて便利。
広島朝高へのあの長い坂や、
京都朝高の比較的こじんまりした感じが思い出されました。
写真の校舎は、国会議員が視察したというニュースで見た人も多いのではないでしょうか。
校舎の入口で校長先生が待っていてくれました。
私たちが来たことをとても喜んで下さっていました。
一瞬でいい先生だなって思った。
そう朝鮮学校の校長先生は
どこの学校でもすごく子供思いで、優しい。
もちろんここの校長先生も『アンソロジー』の愛読者(?)です。
校長室で色々お話を伺いました(記憶違いがあるかも)。
まず大まかな沿革について。
1946年に同校は
日本で初めての中等教育機関の朝鮮学校として設立されました。
当時教員数は11名、生徒数は320名だったそうです。
そして今や卒業生は10万人。
在日教育機関の中でも中心的な学校です。
そして校長先生は少し辛そうに言いました。
2000年以降のバッシングがとてもひどくなったこと。
チマチョゴリの切り裂き事件が頻発し
女生徒は外では第二制服を着用しなくてはならなくなったこと
(話はとびますが、今回東京で初めて中央線の女性専用車両に乗りました。周囲が女性だけですごくホッとしている自分がいました。車内で見知らぬ大勢の男に取り囲まれるのは、女性にとって恐怖。車内でチョゴリを切り裂かれたなんて、女の子たちはどんなにこわかったろう)
「社会的に良くなっているようでいて、みえない差別が拡がっている」
と先生は実感をこめて言われました。
民族教育の変化について。
70年代までは帰国を前提とした教育が行われていたそうです。
しかし80年代以降は、帰国はしないという方針になった。
そして民族教育の目的も変化した。
日本社会と国際社会で活躍すること、
そして日本の地域社会に貢献することへと。
その変化は
このブログでも9月1日付の記事でアップした
朝鮮高級学校校長会会長の談話でも感じられます。
「今後とも朝鮮高級学校では、日本で生まれ育ち生活を営んでいく在日同胞生徒らが、民族的アイデンティティーと素養を培いながら、日本の人々と手を携えて善隣友好の架け橋となり、地域社会の発展に貢献できる人材を育ててまいります」
朝日新聞の記事にあった
日朝の懸け橋になりたいという卒業生の文章も思い出されました。