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河津聖恵のブログ 「詩空間」

この世界が輝きわたる詩のプリズムを探しつづける。

「それは似ていた」

私は、私たちは、今本当は何を見ているのでしょうか。
奇妙なことを言うようですが
与えられる映像、イメージ、がそのまま自分が見ている通りのものだと
私には次第に思えなくなってきています。

例えば今も不気味な温度上昇が続く
福島第一原発三号機の破壊された姿には
明らかに原爆ドームの記憶が重なります。
あるいは数々の戦争で破壊された建物の姿……
あの無惨な姿はそのように
人間の記憶を次々多重露出させるものではないでしょうか。

次の辺見庸さんの作品「それは似ていた」もまた
被災の無惨な光景に
二十世紀の歴史の崩壊現場をオーバーラップしています。

それはなぜか似ていた。
爆撃されたサラエヴェオ図書館に。
フアン・ゴイティソーロが「記憶殺し」と言った
その場所に。
渚に散乱する記憶。

それはなぜだが似ていた。
ヒロシマの小学校に。
子どもたちがそれぞれの影になって
石や鉄にはりつけられた
そのときの無音に。

それはなぜだか似ていた。
すべての殺戮現場に。
水が火柱としてたちあがり執拗に記憶を焼いた
その奇抜さに。
それはなぜか似ていた。

狂った神が描いたような地獄絵に
私もまた暗澹たる既視感を覚えていたのでした。
そして
私もまた悪魔にも近いまなざしを隠し持っていたということに
慄然とします。

しかしそのシミュラークルの魔法もやがては切れ
未知の光景を
それぞれの孤独の中で突きつけられるはずです。
いったいそれはどのような光景なのでしょうか。

火や水やα線β線γ線が書き割りに殺到し、
幻影はあっさりつきやぶられた、
これからは側のないむき身の現実だけが、
だれも名づけえぬ現象としてあるくという。