先日東京でお会いしリーフレットを手渡したSさんから
嬉しいメールをいただきました。その一節です。
「詩人が力を合わせていく、ということに希望も感じます。
かつて、黒田三郎さんが、
『詩人という名で免れるものはひとつもない』と言っていたことを思い出しました。
そしてそこから、詩人としてできる『表現』ということも考えています。」
Sさんの「希望」という言葉とともに、
ここで引用された黒田三郎さんの言葉は、私の心を明るく灯してくれました。
詩人・黒田三郎。
長らく私はその存在を忘れていたようです。
ふと本棚のガラスの引き戸を開け、現代詩文庫を取り出しました。
奥付を見ると75年発行のものでした。
恐らく大学時代に買ったものだと思います。
詩を現代詩として意識して書きはじめた大学の頃、
私はどちらかといえば、
詩を社会や歴史によって動かされるものと捉え、
ひいてはそれらを動かしうるものであるとも信じるスタンス、
つまり人間がより人間らしくあるために詩があるはずだという
立場にたった詩や詩論をよく読んでいました。
黒田さんはそうした系列の代表的な詩人です。
羨望とときめきを抱いて読んだ覚えがあります。
有名な「紙風船」や「こうもりがさの詩」だけでなく、すべての詩が
詩を特権化しない平易なことばをこまやかに駆使しながら
人間の繊細で柔らかな魂の裸形を
読む者の内部から浮かび上がらせていくと思います。
毛髪がふうわり風になぜられるような、あるいは睫がひっそり雨に濡れるような感覚とともに。
この詩人の詩は、魂をほんの少し、
けれどその底のほうから雨上がりのように陰翳深く明るませてくれる。
作品「あなたの美しさにふさわしく」の冒頭部分──
失われたもののみが美しく
失われたもののみがあなたのものであったと
ひそかにあなたに告げるのは誰か
心に残されたものは
赤さびの鉄骨と
燃え残った石壁だけであると
ひそかにあなたに告げるのは誰か
美しいひとよ
思い出があなたをどん欲にする
かつてあなたを容れるためにあり
いまもなおあなたを容れるためにある
空白のなかで
あなたの美しさにふさわしく
唇を洩れて出るひとことよ
たかがそれは
木と紙とガラスにすぎなかったのだと
「かつてあなたを容れるためにあり」から「唇を洩れて出るひとことよ」までの五行に、
三十年前の私は鉛筆で線を引いていました。
なぜなのか、目を閉じて思い出してみたい気がしています。
いま少しこの詩人の深さに触れてみようかと思います。