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河津聖恵のブログ 「詩空間」

この世界が輝きわたる詩のプリズムを探しつづける。

5月12日ETVこころの時代シリーズ「私にとっての3.11/「奪われた野にも春は来るか」」(2)

3.11以後の写真とは何か。
美しい自然を撮るだけでは何が起きたかは伝わらないのでは。
目にみえないものをいかに伝えるのか。
写真を撮る者とそれを見る者の双方が
社会に対する記憶や認識を共有していくことが
表現の限界を超えるカギとなるのではないか―

共有する知識や経験を獲得しそれを利用し、
対象と向き合う姿勢を通じて、
自分自身が見たものを伝えていく。
写真はある事実を通じてしか思いを伝えることができない。
だからそのためにはお互いが共有する経験や知識を持ち
「目に見えないもの」を見るようにさせたり、感じさせたりするのだ―
写真そのものは人間や社会の瞬間的な断面を切り取ったものにすぎないが、
撮る側も見る側も
事実の背後にあるものを深く知ろうとすることで
写真を通じた対話ができるのではないか―

そのようなCho3
シャッターを切る以前にまず「何を知るべきか」「対象とどう関係を築くべきか」
を考える鄭さんの姿勢の原点は
学生時代に出会った「恵生院」という精神障害者の施設での体験です。
最初カメラを持参しなかった鄭さんが
写真を学んでいると知ると、
入所者たちは「なぜ自分たちを撮らないのか」と迫ったそうです。
かれらは手錠さえも見せ積極的に自分を晒そうとしました。
そのとき鄭さんは、
「この人たちは誰なのか」「心の病とは何か」「なぜ自分ではないのか」
と根本的な疑問が湧き悩みに悩ました。
そのために初めて聖書も読みました。
歩けなかった男がイエスに「罪は許された。歩いていけ」といわれ歩けるようになった。
しかしその「原罪」がいかなるものか分からない・・
自分がいかに無知であるか分かり、
写真の技術よりもまず本当に勉強しなければならないと考え、
ドイツへ哲学を学びに行きました。

ドイツで哲学を学びながら分かったのはCho1
「自分は哲学者になるために学んでいるのではなく、写真に足りない思考を養うためなのだ」ということ。
そしてあらゆるシステムが整いゆたかで文化的で一見完璧なドイツ社会でも
老人たちがいかに人間関係において孤立しているのかが見えてきた。
それは通りすがりでは見えてこないけれど
暮らして初めて見えてくる真実です。
しかしかれらを写すときに実感されたのは
恵生院でも痛感した「写真そのものにある暴力性」です。
負の部分をさらけ出させる暴力性の高い行為を
自分におこなう資格などあるのか。
そもそもそのような写真という表現に問題はないのか。
そこでむしろ故意に最も暴力性の高いフラッシュを昼間に光らせ
道を行く老人たちを撮影することを試みました。
そうすることで
孤立する人々を写真としても孤立させ
真の姿を写し出せると思ったからです。
私は鄭さんのこの発想には驚かされました。
それは写真の暴力性を隠蔽するのではなく
社会の暴力性と写真のそれの二重の暴力性をさらけだす
まさにすぐれた方法ではないでしょうか。
(ちなみに詩で「3.11を描く」という時もまた、まず詩あるいは言葉の暴力性を問うべきなのではないでしょうか。その反省に立ち深めることで、詩あるいは言葉そのものと社会と自然の暴力性を同時にあばく詩とはどのような詩でしょうか。)

そしてまさに南相馬で写真を撮るということこそ
写真の暴力性を問われる行為です。
そのことを鄭さんは自問し続けました。

結局、位置の問題かもしれない、と鄭さんは言います。Cho2
撮る者と撮られる者とがお互いの位置を確かめることが必要なのだ、と。
相手が自分に見せる姿を通し
私が何を把握できるのかを深く考えること。
そうしてこそ、もう少し意味のあることが出来るのではないかと―

この自問の延長で、
鄭さんは写真展のタイトルとして
日本の植民地支配の時代の朝鮮に青春期を送った李相和の詩のタイトル、
「奪われた野にも春は来るか」を選びました。
そしてその、朝鮮と福島を往還する鄭さんの思考は
私たち日本人が3.11以後にどう変わりうるかを模索する上で
大変大切なものが含まれていたのです。