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河津聖恵のブログ 「詩空間」

この世界が輝きわたる詩のプリズムを探しつづける。

今日もメールを送りました

「無償化」が学校で学ぶ生徒たちのためのものである以上、朝鮮学校に通う生徒たちへの「無償化」適用をめぐって「拉致問題」や朝鮮半島情勢、外交問題をからませることは、とんだ筋違いな論理だし、つくづくおかしな話です。以前「朝鮮学校の生徒が『砲撃』したのですか?何の関係があるというのですか?」と訴える日本の方がいらっしゃいましたが、本当にそうです。何よりも無償化制度に関して民主党政権は「朝鮮学校と外交は絡めない」との立場をとってきました。これ以上の矛盾はないのではないでしょうか。
  高校相当の教育を実施していることが認められた(都道府県から各種学校の認可を受けた)外国人学校は日本全国に41校。そのうちの31校にはすでに「無償化」は適用されており、10校だけが除外されている状況です。その10校とは、ほかでもない朝鮮学校です。

「日刊イオ」の本日付記事の最後の部分です(リンクしてますので、全文もぜひ!)。

「この法律は、公立高等学校について授業料を徴収しないこととするとともに、公立高等学校以外の高等学校等の生徒等がその授業料に充てるために高等学校等就学支援金の支給を受けることができることとすることにより、高等学校等における教育に係る経済的負担の軽減を図り、もって教育の機会均等に寄与することを目的とする。 」(公立高等学校に係る授業料の不徴収及び高等学校等就学支援金の支給に関する法律第一章第一条)

このように高校無償化は生徒達一人一人に対する支援と定義されています。いいかえれば、
文科省や政府、ひいては日本社会が、高等教育を受ける意志のある生徒達一人一人と向き合い、経済的な心配をせず安心して学べるように励ますための法律です。こどもたちが安心して、教育現場で知的喜びとそして自尊心を育めるように、社会全体で支援するのです。

拉致問題があるから、砲撃戦があったから、朝鮮学校の生徒たちに対する支援だけをしない、という、誰のものかも分からない(!)理不尽で野蛮な意志がまかりとおれば、朝鮮学校にとってだけではなく、日本社会にとって大変な事態となります。

「いつ何時、自分に何の責任もない理由で、世間の顔色一つで、学ぶ機会さえ奪われるかもしれないのだ、それが現実なんだよ」。 

「ほらね、やっぱり建前と本音はちがうんだよ、教育の理念なんてうそっぱち。誰も助けてくれやしない。自分は自分で護るしかないんだ。パイは限られてるんだから」

そんなニヒルな呟きがさらに社会に満ちていきます。私は途方もなくそれを心配しています。高校無償化法こそが、「現実」や経済や政治がまかりとおるこの社会の薄闇に、ひとすじの普遍的な理念の光を差し入れる使命があるのです。誰もがエゴに走らざるをえないこの社会に、わが身を呈して子供を護りたいという無償の愛情を、喚起させる役割があるのです。

大人は醜いエゴイズムとその結果としての孤絶にみな絶望している。首相も文科大臣も官房長官も拉致担当相も。社会を変え、未来を創ってくれるのは、もはや子供たちの輝きのみのはずです。そして、朝鮮学校の生徒達に同校で安心して学んでもらうことは、とどのつまりは日本社会の未来をまもることなのです。近い将来に統一されるはずの朝鮮半島との友好関係を築く自分自身の未来を。

この社会はみずからの絶望の深さから目をそむけている。その深さを知らなくてはならない。そこから本当の希望へ向き直ろうとしなくてはならない。

今日もメールを送りました。