昨日の「関西ワークショップ」から学んだことのつづきです。
大学教員が今回の朝鮮学校除外の問題にかかわる必然性とはなにか。
それは
2003年に大学入学資格問題で大学教員も努力して関わりながらも積み残した
朝鮮学校に関する課題が、
この高校無償化にも引き継がれる結果となったからだ、と
昨日のワークショップの冒頭で語られました。
今回、朝鮮学校について課題を積み残した大学入学資格の認定基準が、高校無償化除外の基準として援用されたのです。
川端文科大臣は3月の国会答弁で
外国人学校への就学支援金支給の基準として大学入学資格を「一つの参考」にすると発言したそうです。
実際、4月1日に告示された文部科学省令では、大学入学資格の認定基準が援用され、その結果、朝鮮学校は当初適用除外となりました。
2003年に告示された大学入学資格の認定基準では
ほとんどの外国人学校が学校単位で大学入学資格を認められるようになったのに、
朝鮮学校だけが「当該外国の正規の課程(12年)と同等として位置づけられている」かどうかを、大使館等を通じて「公的に確認」することができないとして、
リストから除外されたのでした。
その後、朝鮮学校の修了者が大学の受験資格を得ようとすれば、
各大学での個人単位での「個別の入学資格審査」によるしかない
という状況がこれまで続いてきました。
しかしその背景には政治にまつわる深刻な社会状況があります。
大学入学受験資格の認定基準には、 その前年の2002年に行われた
日朝首脳会談後の「拉致」問題が原因で生まれた制度的な「ゆがみ」があります。
当時、日本国内で巻き起こった政治的バッシングを懸念し
文科省は当初朝鮮学校を除外しました。
しかしそれに対する猛反発を受け
苦渋の策として「個別審査」というかたちをとったのです。
つまり学校単位では入学資格は認めないが
個人では救えるような形にした。
そのようなゆがんだ時代状況の中で生まれた回りくどい基準を
今回「無償化」の基準として援用したわけです。
ならば、いまだ日本が朝鮮と国交正常化しようとしない現況の中で
朝鮮学校が除外されるのは当然でした。
大学入学資格の基準が「個別審査」(つまり学校単位ではない)という方向へむかったのと同様に
今回の無償化もまた、(大学入学資格では各大学が認定機関となったの同様に)
都道府県と第三者機関?に判断の作業をゆだねることになったのです。
朝鮮学校を認めまいとする方向性はあまりにも明らかです。
こうした一連のうごきの背景にはもちろん
関係機関に対する右派の政治家やそれを支える市民保守の圧力があるわけです。
残念で怖ろしい事実ですが、
しかしこの未成熟な社会を成熟させるために生きているはずの私たちは なけなしの良識をふりしぼり
事態を良い方向に変えなくてはならないと思います。