白浜
―― 好きなやつ――つまりは魂だ
みちているのは
私たちを透過することなく
魂を花のようにやさしく撫でる光
昨日阪和自動車道のトンネルをくぐり
私たちはああと声を上げた
これよ このひかりみてよ
窓から空を見上げながら一斉に何を想い出したか
段々畑の蜜柑の枝ぶりを手にとるように感じ
青緑いろの海に車内を深く覗きこまれ
私たちこそ光に想い出されたのだった
われしらず世界を受粉していた魂を
今熟したそれぞれのそのかたまりを
*
魂とは病であるという作家の言葉を波間にときはなつ
魂とは生命の熱病をこいねがう永遠
深い青の色はそうゆれかえしてくる
*
二〇〇八年九月八日
私たちは画家原勝四郎が見た風景を追う
白浜半島をさらに北へ突き出た小さな半島にある江津良(えづら)浜
この明るい海と磯を戦後画家は
住んでいた町営住宅から歩いてきてはよく描いた
フランスを放浪し地中海に魅せられ
窮乏の果てにアルジェリアまでゆきついた画家の魂に
この海の青はどのようなやすらぎに見えたか 響いたか
さざ波の化石がつづく繊細な磯と 海の青がおりなす風景を
(ホテルの林立する綱不知(つなしらず)よりここは変化が少ない)
私たちは半世紀以上をへだてて見て聴いている
三脚椅子に座り 片目をほそめ風景を指で切り取りながら
画布にむかった魂の陰翳が
花が色に染まるように私たちにしみてくる
重ねる色をえらび 波の太い横線を柔らかに描こうと
筆を下ろしたとき 画家の腕は海の魂と静かにつながった
そのたしかな瞬間を
私たちは記憶の未知の一隅で感じとる
永遠の花粉となったときめきときらめきを
*
江津良を去ろうとして
栗より少し大きいハマユウの実を見つける
八月に訪れたとき新宮の丹鶴城址で
白い彼岸花のように咲きほころんでいた
違う花なのに 一ヶ月もたたないうちにと思う
そのあいだ紀州にきらきらと花粉が降り続いていたとさえ
この小さな軽い実には
海を漂流して遠い海岸に漂着し発芽する生命力がある
くっついている茎のさきからいくつも拾う
手のひらの中で親しい人たちが微笑むように
ひとつひとつ手渡すことを思いつく
「はまゆうプロジェクト」ともう秘かに名づけている
*
自分自身のもやいを外し
花のように手渡すために
光よふりそそげ
海に
山に
私たちに
注:エピグラフは「原勝四郎のフランス放浪日記」より。