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河津聖恵のブログ 「詩空間」

この世界が輝きわたる詩のプリズムを探しつづける。

中国吉林省・延辺朝鮮族自治州をめぐって�K8月24日後半(3)

東柱の墓前でのミニ朗読会の後は、Imgp0635
みなで龍井の街にくりだし
明東村の村長さんご推薦の豆腐料理のお店へ。
名物「海水豆腐」二種。
満州の名物大豆と、豆満江の水のコラボです。
こくがあり、とても美味しかった!!(しかしまたしても量が多く食べきれなかった…、こんな本格的な郷土料理は絶対日本では食べられないのに…)

食事が終わり、村長さんが帰ったあと
丁章さんの御家族は一足先に延吉へ帰還。
愛沢さんと丁章さんと私は、まだ東柱の面影を探したいと居残り組です。

タクシーで龍井中学へ向かいました(ちなみに、タクシーは例えば延吉市内ならどこまででも5元=約70円!! この時も龍井市内でしたが、同じ位安かったと思う)。M_2
龍井中学はなかなか見つかりませんでしたが、何とかたどり着けました。
グラウンドの一角にはかつて東柱が通った大成中学を復元した展示館があり、
そこで延辺の民族教育の歴史と尹東柱の足跡が
写真パネルと説明で追うことができるようになっています。

最初、自分たちだけで展示を見ていましたが、
しばらくして説明係の美しい女性がやってきて丁寧にも
一つ一つ解説してくれました。
それはありがたかったのですが
抗日運動が激しくなる時期の一角で
ふとそこには何もないかのようにほぼ無視して次に移ったので、Imgp0650
あれ、と思いました。
こちらが日本人だから凄惨な場面は配慮してくれたのでしょうか。
たぶんそうなのでしょう。
説明する方もいやな思いをするでしょうし。
しかしやはり何が書いてあったか気になるので、
一連の説明をしてもらったあとで
私達でもう一度パネルを辿り直していきました。
そして館長さんにもご挨拶をして会場を出ました。

さらにこの展示館には「尹東柱教室」という、049
当時の教室を再現したスペースがあります。
そこに座ってひととき
東柱や従兄弟の宋夢奎の同級生の気分にひたりました。

それから
旧間島日本総領事館跡地(龍井市人民政府)で開催中という
「罪証展覧」を見るつもりでしたが、
あいにく時間が遅く、入ることはできませんでした。
ここは地下が「抗日分子の監獄」だったそうです。
展覧会では、日本軍が使った拷問の道具とか水牢とかが展示されているそうです。
丁章さんによれば何年か前にもこの展示会はやっていたとのこと。Imgp0674
私もネットで調べたらかなり前に見たという記録もありました。
無期限で続けている展示なのでしょう。
そこにある執念も感じつつ見たかったです。

その後龍井名物である人力三輪車に乗って、龍井駅へ。
龍井には人力タクシーがバイクと自転車の2種類あります。
バイクにも乗りましたが振動も激しいし、
街を観察するには速すぎ風情がありません。
この自転車の方がゆらゆらとゆるーい速度なので
街ゆく人々の表情を間近で観察して
色々思いを馳せることができます。
乗っている間なによりも印象的だったのはImgp0677
一生懸命漕いでいるおじさんの背中。
車内にはとてもきれいな花飾りが施されてあって、
おじさんのお客へのもてなしの心を感じます。
きっととてもまじめな人生を送っているんだろうな、もう孫も何人かいて…
などと勝手に思っているうちに龍井駅に到着。
素敵な笑顔を見せてくれたおじさんと握手してお別れしました。
(運賃はやっぱりたった5元。もしかしたら4元だったかも…)

さて、なぜ龍井駅に来たかというと
東柱が平壌やソウルに出発したのも、
そして日本に留学後一度夏休みに帰郷してからImgp0691
二度と帰ることのない故郷をあとにしたのも、
この駅のプラットホームからだったから。
私達が着いた時はもう列車の運行が終わっていて
(列車はメインな交通手段ではないようです)、
なかなか職員が入れてくれなかったのですが、
何度も物欲しそうに覗いているうち
かわいそうだと思ったのか「ちょっとだけだよ」ということで
入れて貰いました。
本当にちょっとだけでしたが、
約70年の時を隔てて
詩人と同じホームに立つことができて、感激でした!!
遙かなその日、遠くまで光る鉄路を見つめながら
詩人はきっと希望とかすかな不安を明滅させて佇んでいたのでしょう。
どこかで獄死の宿命さえ予感して。

龍井では最後、Imgp0698
ヨンドゥレ井戸を見に行きました。
龍井の地名の起源になったところです。
「龍井地名起源之井泉」と書かれた石碑が立っていて、
小さな公園になっていました。

それからバス停に行くとすぐにバスが来て
三十分ほどで延吉に着きました。
そしてこの夜は
方龍珠さんと、作家の李恵善(リ・ヘソン)さんとのしゃぶしゃぶの会食です。
李さんは、延辺作家協会はもとより、中国作家協会の全国委員を務めている方。
つまり中国の作家を代表する作家の一人であると
政府から位置づけされた作家です。
丁章さんとは1996年に初めて会って以来の付き合いです。
中国朝鮮族の人物史をテーマにした作品が多いとのこと。
しかしなにより美しい方だったのに
美味しいしゃぶしゃぶに夢中になりすぎたのか、なぜか写真がない…
(しかし日本にもよく招かれているそうなので
また来日された時お会いすることもあるでしょう。)
李さんが語った次のエピソードが印象的でした。
日本に招かれた時、ある席できかれたそうです。
「あなたは韓国人ですか、それとも中国人ですか」
それに対し李さんは答えました。
「私は中国の朝鮮族です!」
やはり李さんもまたアイデンティティの問題を抱えているのです。
自分が何者なのか。どこに属するのか。属さないのか。
自分にとってアイデンティティとは、属すことなのか、属さないことなのか。
李さんの作品はまだ読んでいませんが
恐らくそうした問いかけが
いつもどこかに含まれているものであるに違いありません。

さて、丁章さんの御家族は途中で先に帰り057
やがてしゃぶしゃぶもお開きになり
方さんと李さんと分かれ、また三人で延吉の夜景に見ながら散策。
私が「夜景を見て帰りたい」などと気ままことを言い出して
ホテルまでちょっと長い道のりを歩いて帰ることになったのですが、
ちょっとしたハプニングが。
私は美しい夜景に見とれつつも
数日前からやや怪しかったお腹が
夜風に吹かれたせいか急に痛くなってしまったのです。
しかも開いている店も見当たらない時刻…
(後できいたらお二人もやはり数日前からお腹の薬を飲んでいたとのと。もちろん私も。食事の量が多く、食事と食事の間隔が短く、やはり食べ慣れないもののせいでもあったでしょう。ただトイレの不便な中国でお腹が痛くなるのは、ちょっとした災難。)
仕方ないので眼の前にあった焼き肉屋に
二人を巻き添えに飛び込んでしまいました…

おかげさまでお腹は何とかなりましたが、
申し訳なかったのは、お二人。
のっけから何も注文しないのに付け合わせの野菜がどかっと出てきて、
またしてもメニューの内容が分からず安いものを適当に頼んだら、
あまりにも不思議な「何か」が出てきてしまい。
肉とは違う、筋肉のようなエリンギのような白い棒状のもの、
がしかも大量にどんと置かれたのでした…
「なかなかいけますよ〜」
と丁章さんがほぼたった一人で
自分に言い聞かすようにほおばり続けてくれましたが、
私はコーラのみを口にしながら
申し訳ない気持でいっぱいでした。
しかしあれは本当に何だったのでしょうか…

翌日は中朝国境の街、防川と図們へ向かいます。