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河津聖恵のブログ 「詩空間」

この世界が輝きわたる詩のプリズムを探しつづける。

そう思いませんか?

私は不思議でなりません。
なぜこの国の人々は朝鮮学校の生徒達にこそ、想いを寄せようとしないのかを。
どうして一人一人の生徒と知り合いたいと思わないのかを。
私たちにないものを持つ若い他者たちに
自分自身を触発されたいと願わないのか、を。

彼や彼女が今どんな日々を送っているのか
朝どんな風に目覚め、窓からの春の光の美しさをどのように感じるのか
朝食はパンなのか、それともごはんなのか
今どんな本を読んでいて、今日はどんな言葉に感動したのか
(今は春休みですが)学校で学ぶことで何が楽しいか、苦手か
教科書に出てきた詩でどれが心に残ったか
いつしかくちずさんでしまう歌は何か
どんな色が好きか
心ときめくのはどんな時か
行ってみたいところはどこか 見てみたいものは何か
素敵だと思う人はどんな人か、誰なのか……

私は彼や彼女を無性に知りたいです。
私がよりゆたかに私自身であるために。

紀州・熊野の煌めきにこがれるように
私は朝鮮学校生たちの輝きに惹かれます。
朝鮮学校生たちの魂には私たちにはない未知の深さとつよさがあり
そしていつしか私たちが見失ってしまった情愛や探求心や真摯さがあると感じるからです。

そして一人一人が
朝鮮学校という共同体の物語(マイケル・サンデル)の主人公であるからです。
そのような一人一人のきわだち方は、
日本社会がなくしてしまったものなのだから。

今、私たちはロボットのようにあるいは情報や記号の集合体でしかないように
社会や政治の側から自分の固有性をうばわれつづけている。
もはやネット上でのように匿名でしかものがいえないように、
あるいは自発的な行為が出来ないようにされてしまっています。

私たちが固有の生をとりもどすために今緊急に必要なのは
自然という自分の生まれてきた母胎に触れなおすことでしょう。
そしてもうひとつは
自分の固有性を触発してくれる他者と出会っていくことです。
たとえば朝鮮学校生という
他民族と他文化に属する者、少数者、そして在日外国人という立場にある者として、私たちとは違った新鮮な角度で鋭敏に社会や世界を感受している他者と。

人間というものは
関係性と固有性をゆたかにしていくために生きる存在ではないでしょうか。
自閉し、排除し、自分を護るためにだけ生きていくならば
いつかふと気づけば
自分などといものはどこにもなくなっているはずです。